アッサラーム夜想曲

『名もなき革命』 - エステル -





 ― 『名もなき革命・二』 ― エステル




 あれから、四年。

 合同模擬演習でユニヴァースに憧れを抱いてから、必死に追いかけ、精鋭揃いの第一騎馬隊へ配属が決まった。
 暮れの合同模擬演習に向けて、第一騎馬隊の候補にエステルの名があげられたが、迷った末に辞退した。
 シャイターンや花嫁ロザインと共に、ザインに従軍する為だ。
 幸運にも、ザインに向けて特別に編成される、花嫁の武装親衛隊に選ばれた。かつてユニヴァースも務めた栄えある任務に、エステルは二つ返事で了承した。
 ザインへ発つ二日前。
 武装親衛隊の中でも、最後衛だろうと思いこんでいたエステルであったが――

「アージュは、僕の護衛隊長なんだ。判らないことは、彼に聞いて」

「は、はい!」

 花嫁に呼ばれて、ローゼンアージュに引き合わせられた。
 恐れ多くも、彼と同じ側近の武装親衛隊に抜擢されたのだ。

「アージュも、いろいろ教えてあげてね」

「はい」

 彼は人形めいた美貌で、無表情に頷いた。
 この繊細美妙なる麗人は、外見にそぐわぬ凄まじい剣技の持ち主で、花嫁を公宮に迎えた時から武装親衛隊を務めている。
 そうして、花嫁の絶対的な信頼を勝ち取り、右腕にのし上がったのだ。
 見目麗しい容姿も彼を助けたろうが、家柄に関係なく、花嫁の傍に立てるのは、実力重視のアッサラーム軍の気質であろう。
 長く上等兵に留まった謎の人でもあったが、今では、武装親衛隊隊長ならびに、ユニヴァースと同じ少尉の階級に就く青年士官である。

「よろしくお願いします」

 敬礼するエステルを、ローゼンアージュは無言で見下ろした。温度の感じられない眼差しに、ザインへの行軍をいささか不安に感じるエステルであった。

 +

 花嫁は、相変わらず気さくな人柄で、奢侈しゃしにもこだわらず、行軍の不便にも不満一つ零さなかった。
 とはいえ、これまでのように接するわけにはいかない。
 気を引き締めて護衛任務についていると、天幕から顔を覗かせた花嫁は、

「二人共、休憩にしない?」

 暇潰しを見つけたような顔で、エステルとローゼンアージュに声をかけた。

「いえ、私は……」

 恐れ多くも、花嫁の誘いを辞退するエステルの横で、ローゼンアージュは、何の躊躇いもなく天幕の中へ入った。

「お菓子あるよ。エステルもおいでよ」

「は、はい」

 二度も誘われて断るのもいかがなものかと、エステルも中へ入ると、蜂蜜と紅茶の良い香りが漂った。
 傍仕えのナフィーサが給仕する横で、ローゼンアージュは旨そうに、バターと蜂蜜を塗ったパンを頬張っている。空いた片手には、オリーブを摘まんで。
 あらゆる面で、エステルは彼を尊敬しているが、恐らく彼の方はエステルなど空気も同然に思っているだろう。
 並んで護衛についていても、彼から連携や分担、注意点といった話は、一度もされなかった。
 というより、会話がない。
 それはエステルに対してだけではなく、彼は基本的に、誰に対しても殆ど口を利かない。会話する相手といえば、天上人であり、主たる花嫁くらいだ。
 ザインに到着するまでは順調であったが――
 そこから、混乱を極めた。
 到着したその日に、三大公爵家の一つ、ドラクヴァ家が襲撃を受けたのだ。花嫁を残して、シャイターンは単独でザインに入ることを決める。
 花嫁の後ろで警護に立ちながら、眼の前で繰り広げられる光景に、エステルは何度も眼を瞠った。
 今も、シャイターンの身を案じて、花嫁は思わずといった風に、袖を掴んで引き留めている。
 彼が、あんな風に一途に見下ろすとは知らなかった。
 万軍を率いて、いつでも敢然かんぜんと立ち向かってゆく英雄が、花嫁の手を剥がせずにいる。
 時間がないと知っていても、引き留める花嫁を無下にできないのだ。
 他の者が、同じ真似をしようものなら、氷の一瞥を向けるだろう。触れることすら、許さないかもしれない。
 衝撃だ……
 これだけエステルが注視していても、一途な視線は花嫁だけに注がれている。

「どうか気をつけて」

「光希も……」

 英雄は、離れていく花嫁の手を取り、指先に恭しく口づけた。見守っていると、鋭い眼差しで突然こちらを見た。
 甘さの欠片もない視線は、何があっても花嫁を守れと、エステル達に言っている。
 凍てつくような覇気に、思わず仰け反りかけたが、隣でアージュは心得たように一礼した。エステルも慌てて最敬礼で応える。
 一角馬に騎乗したシャイターンは、雄々しくも美しかった。
 貴公子のような佇まいからは想像もつかないが、彼こそはアッサラームの誇る驍勇ぎょうゆうの獅子だ。闘えば負けなし、連戦連勝の軍事天才である。
 英雄は最後に一目、騎乗から花嫁を見下ろし、ナディア達と共にザインに向かって駆けていった。

「……殿下、天幕の中へ」

 いつまでも見送る花嫁に親衛隊隊長が声をかけると、彼は視線を断ち切り、静かに天幕に戻った。




『名もなき革命』 - エステル -


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