アッサラーム夜想曲

『神の系譜』 - 光希 -





 ― 『神の系譜・九』 ― 光希




 いにしえの大都から、カリヨンの音が聞こえてくる。
 夜も明けやらぬ黎明に、礼拝を告げる鐘は、夜の静寂しじまを控えめに破った。

「殿下」

 鐘の音に混じって、淡々とした青年の声が聞こえる。耳の片隅に拾い、光希は薄眼を開けた。

「殿下、中へ入ります」

 寝ぼけた思考で、咄嗟に反応できずにいると、ローゼンアージュは返事も待たずに入ってきた。

「どうしたの?」

「百数名の武装集団が、こちらへ近づいてきます」

「え?」

 慌てて身体を起こすと、ローゼンアージュは畳まれた軍服を手渡した。

「革命軍の紋章旗を掲げています。着替えて、お早く」

 呆けている場合ではない。やってきたナフィーサに身支度を手伝ってもらい、準備を終えると照明を落とした。薄暗い視界の中、外套を羽織り、手を引かれて外へ飛び出す。

「誰なの? なんでここへ?」

 昨夜、光希の影武者を連れて、ジュリアスは公式にザインへ入ったはずだ。一兵卒に扮する光希が花嫁ロザインだと、知っている人間がいるのだろうか?

「判りません」

「待って」

 強い力で腕を引かれて、光希は慌てて周囲を見渡した。
 天幕で休んでいた兵達は全員、外に出ている。黒牙を抜いて、臨戦態勢だ。
 彼等が見据える先――砂の対岸には、赤い松明が不気味に揺れている。東西大戦の記憶が胸をよぎり、光希はぎくりとさせられた。
 しかし、白い鳥の意匠された旗を眼にした途端、全く別の光景が脳裏を過った。

「殿下ッ!」

 急かす声と腕を振り切り、光希はアルスランの立つ野営の前線に向かって、全力で駆け出した。

「そこで止まれ! 何者だ!」

 背中からローゼンアージュが光希を押さえるのと同時に、アルスランは鋭い口調で誰何すいかを発した。

「敵意はないッ! 革命軍のヘガセイア・モンクレアだ! リャンのことで、話がある!!」

 中心に立つ一人が、両腕を高く上げた状態で叫んだ。怪我をしているのか、足を庇うようにして立っている。

「花嫁に会わせて欲しいッ!」

 ここに花嫁がいることを知っているかのような口ぶりに、野営の空気は張り詰めた。

「殿下、お早く」

 殆ど引きずるようにして、ローゼンアージュは光希を後方へ下げようとした。肩を抱きしめる腕に抗い、光希は足を踏ん張った。

「彼の顔が見たい」

「いけません」

 前へ出ようとする光希を、ローゼンアージュばかりか、エステルも押しとどめようとする。

「お願いだ、どうか!! このままでは、リャンは殺されてしまう……ッ」

 幻に見た、砂漠に立つ覆面姿。彼こそが、リャンを助ける者かもしれない!

「そこで跪けッ!」

 冷淡な口調でアルスランが命じると、ヘガセイアと名乗った男は、すぐに膝をついた。

「彼を失うわけにはいかないのです、どうか御慈悲をッ!」

 必死さの滲んだ震える声を聞いて、光希は心を決めた。

「詳しい話を聞きたい。皆、力を貸して」

「殿下」

「言う通りにして。早くッ!!」

 厳しい口調で一喝すると、周囲に動揺が走った。
 後方の異変に気付き、アルスランの眼がこちらを向く。光希に気付くや、眉をしかめた。非難の視線でめつける。

「アルスラン! 彼を連れてきて」

 鋭く命じると、苛立ったようにアルスランは舌打ちした。

「ナフィーサ、アージュ。彼と話したい。お願い、力を貸して」

 強い視線を向けると、二人は光希を見つめて表情を引き締めた。主の本気を知り、彼等も心を決める。

「仰せの通りに。私が代わりを務めます」

 表情を改めてナフィーサが応え、ローゼンアージュも無言で首肯した。ナフィーサは跪く護衛を振り返ると、

「淡い照明としゃを持て。私が殿下の代わりを。護衛の者は、私の後ろに。エステルはローゼンアージュと共に殿下の傍へ」

 小声で、しかし的確に指示を出した。ザインへ入る際、光希の代役を務める予定でいたナフィーサには、一通りの準備がある。
 作戦を知り、駆け寄ってきたアルスランは、天幕の影に光希を押し込むや、氷のように冷たい眼差しで見下ろした。

「危険です」

「彼は敵じゃない! 探していた、リャンを助ける者ですっ!」

「貴方を危険に晒すわけにはいかない」

「シャイターンの思し召しですッ!」

「――ッ、いいから、隠れてろ!」

「僕は彼に会う為に、ここまでやってきたと言ってもいい! 信じてッ!!」

 冷たいくろがねの右腕に触れて、光希は告げた。
 月日を費やして命を吹き込んだ鋼腕は、アルスランを以前と変わらぬ飛竜隊最高最速の騎手として、最前線に戻した。
 冴えた蒼氷色そうひいろの瞳には、案じる光が灯っている。逡巡、据わった眼つきに変えると、後方に控える護衛を睨んだ。

「あいつを連れてくる。不審があれば、迷わず殺せ」

「「「はっ」」」

 氷の刃のような口調でアルスランが命じると、全員が一瞬の躊躇もなく、即答した。
 殺伐とした空気に喉を鳴らしたのは、光希だけだ。




『神の系譜』 - 光希 -


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