アッサラーム夜想曲

『神の系譜』 - 光希 -





 ― 『神の系譜・六』 ― 光希




 ザインへの遠征が正式に決まった、翌日。
 クロガネ隊を訪れた光希に、同僚達は代わる代わる気遣いの言葉をかけた。多少の寂しさを覚えつつ、光希は引き継ぎに専念した。
 一月も工房を離れるのかと思うと、やりかけの仕事が気になる。戻ってから巻き返せるだろうか?

「後のことは、お任せください」

 尊敬してやまない装剣金工の錬達、アルシャッドは光希の心中を察したように声をかけた。光希が人に渡すか迷っていた細やかな引継ぎまで、全て引き取ってくれる。

「ご迷惑をおかけいたします」

「いえいえ。こちらのことは気になさらず、ザインに専念してください」

 彼がそう言ってくれるのならば、万事解決だ。多忙な身でありながら、面倒そうな素振りは少しも見せない。
 もう、彼にはひれ伏すしかないだろう。
 ふらふらとぬかづきかける光希を、アルシャッは焦ったように止めた。
 銀縁眼鏡の奥で、優しい碧眼が困ったように笑っている。頼りげない外見の青年だが、彼も今ではクロガネ隊の副班長だ。

「殿下、どうかお気をつけて」

 去年、一等兵から上等兵に昇進したケイトは、相変わらず優しげな容貌で、心配そうに光希を見つめた。

「ありがとう。いい物を見つけたら、お土産に買ってくるね」

「お構いなく、殿下。道中のご無事を、お祈りしています」

 馴染の顔ぶれに旅路を気遣われ、光希は破顔した。
 残念ながら、班長のサイードは今この場にいない。彼は兵器製造局の長官職を務める、軍器太監という大役を兼任しており、現在、別の拠点に赴いているのだ。
 全員と再び会えるのは、年が明けてからになるだろう。
 改造短剣の出来栄えを確かめているらしい、ローゼンアージュとアルシャッドのやりとりを、光希はしみじみと眺めた。
 この居心地の良い仕事場とも、しばしお別れだ。

 +

 期号アム・ダムール四五六年、一三月一〇日。
 ザインに出発する日がやってきた。
 派遣される軍の規模は、総勢五百。かつての大戦を思うと随分と小規模に感じるが、込み入った市街を想定した妥当な数だ。戦略は基本的に、小隊での隘路あいろ戦と同じである。
 全隊、飛竜に乗って砂漠を南下する予定である。
 後方指揮は、ヤシュム、アルスラン、ナディアとそう々たる顔ぶれで、ユニヴァースもヤシュムの麾下きかに編隊されている。
 彼等はザインから少し離れた所で待機し、ジュリアスの命令次第では、ザインに武力介入することになる。
 なおアーヒムやルーンナイト、ジャファールはアッサラームに残り、聖都の警護を務めている。
 今回、一兵卒に扮する光希を守る為、武装親衛隊は周囲に馴染むよう、ローゼンアージュを筆頭に若い兵で編隊された。
 その中には、かつて聖歌隊にいたエステル・ブレンティコアもいる。ユニヴァースに憧れて、騎馬隊に所属している彼は、次の合同模擬演習では、優勝最有力候補の一人だと言われていた。
 事実、超難関と言われた、ローゼンアージュに並ぶ光希の側近親衛隊の座を、彼は射止めたのだ。
 並々ならぬ、努力の賜物であろう。
 いつかアッサラームの獅子になる、そう眼を輝かせて語った少年が、本当に夢を叶えて、光希の前に現れたのだ。
 幼い姿を知っているだけに、光希は時間の流れを感じずにはいられなかった。
 出発前――
 点呼までの間、各々自由に過ごす兵達を眺めていると、滑走場の向こうからユニヴァースがやってきた。

「こんにちはー、殿下」

「ユニヴァース! いいの? ここにいて」

 そろそろ点呼が始まるはずだ。彼の所属する部隊は、先発隊なので、かなり最初の方に呼ばれるだろう。

「なんだかんだで、一刻かかりますよ」

 呑気に笑う彼は相変わらずだ。階級も大分上がったのに、髪も染めているし、耳につける銀細工の数も減らない。

「戻りなよ」

 冷ややかな口調でローゼンアージュは声をかけた。ユニヴァースはにやにやしているが、親衛隊に配属されたばかりのエステルは、心配そうに二人の様子を見ている。

「お前、うちの後輩をいじめるなよ?」

 居心地悪そうに眼を伏せるエステルの横で、ローゼンアージュはどうでも良さそうな顔をしている。ユニヴァースの懸念は、光希も思うところで……配属されたばかりのエステルが、それもローゼンアージュとうまくやっていけるか、少々気を揉んでいた。
 雑談しているところに召集の号令がかり、揃って顔を上げた。どうやら、ユニヴァースの部隊らしい。

「じゃ、俺行きますね! 殿下もお気をつけて!」

「ユニヴァースもね!」

 手を振ると、ユニヴァースは朗らかな笑みを浮かべて、仲間の元へ駆けていった。

「光希」

 呼ばれて振り向くと、ジュリアスに手招かれた。
 いよいよ出発だ。光希は、隊伍の先頭、飛竜の背にジュリアスと共に騎乗した。
 先発隊の出発準備が整い、ジュリアスは高台に立つアデイルバッハを仰いだ。
 皇帝が錫杖しゃくじょうで天を差すと、ジュリアスは敬礼で応えて、手綱を引いた。

「飛翔ッ!!」

 凛と声を響かせ、出発を告げる。曇った空に向かって、数百もの飛竜が、矢の如く翔けあがった。




『神の系譜』 - 光希 -


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