アッサラーム夜想曲

『天高く』 - カーリー -





 ― 『天高く・二』 ― カーリー




 アッサラーム軍が出発してから、数日後。
 軍舎の窓辺に頬杖をつき、カーリーはぼんやり空を仰いでいた。
 空は晴れ渡っているというのに、気持ちは今一つぱっとしない。
 花嫁ロザインの親衛隊としてザインへ発った親友を思うと、悔しいような誇らしいような……心に靄がかるのだ。

「はぁ……」

 何度目かのため息に気付き、カーリーはかぶりを振った。
 やれやれ――
 六日に一度の休みだというのに、鬱々としていては勿体ない。
 空は久しぶりに晴れ渡っていることだし、気分転換にダリア・エルドーラ市場へ繰り出してみようか。
 よし、と心を決めると、早速外へ飛び出した。
 馬車を経由して市場の前で降りると、たちまち賑やかな喧噪が耳に飛びこんでくる。
 露店を眺めながら足を踏み入れると、いくらも歩かぬうちに、ぽんと肩を叩かれた。

「ひゃあ!」

「わー、可愛い声」

 飛び上がらんばかりに振り向いた先には、にこやかに笑むランシルヴァの姿があった。

「こんにちは、ランシルヴァ様……」

 照れ臭げに咳払いをして、カーリーはお行儀よく会釈した。
 とうに成人したが、カーリーはまだ声変りをしていない。かつて席を置いた聖歌隊では、エステルの後任を務め、高音域を先頭で歌う立場にあった。
 その実力を、ランシルヴァはよく知っている。神殿で耳にしたカーリーの歌声に聞き惚れ、後日、道ゆくカーリーの背中に彼が声をかけたことから、二人は見かければ声をかける程度の知人となった。
 高名な詩人である彼は、見る度に色彩に富んだ格好をしている。今日は、緩く波打つ長髪に、乙女のように可憐な花を挿しており、不思議と似合っている……
 万象の神秘や懐疑を、言葉で語りかける詩人は、尊敬を集める。特に高名な彼等の墓所は故郷に建てられ、大勢の参詣者を集めるのだ。しかし、彼を見て尊敬するかと聞かれると……うーむ。
 ちなみに、彼はユニヴァースの実兄である。年も近く、仲は良いらしい。
 挨拶を終えた後、なんとなく、二人は並んで歩き出した。互いに市場には遊びにきており、急ぎの用もない。

「詩はどのようにして、作るのですか?」

 道すがら尋ねると、ランシルヴァは人差し指を顎に添え、視線を斜め上に動かした。

「んー……歩いていると、流星のように閃いて、口から飛び出してくる感じかな」

「……」

 返す言葉もなく、カーリーは沈黙した。
 彼は、例えば胸を打つ美しい光景や音楽を、あるがまま紙の上に散らして、奇跡を顕現けんげんさせる人だ。
 思考錯誤により道を切り開く、およそ厳しい韻律や理念を追求する詩人とは対局にある、天性の詩人であった。

「ほら。ああいうものを見て、人は詩人になるんだ」

 彼が指さすままに空を仰ぐと、飛竜が編隊を組んで、悠々と翔けてゆくところだった。
 そうかと思えば、今度は雑貨屋に揺れる香炉を指して、いい匂いと笑い、大道芸人の風笛ガイタの演奏に耳を傾け、鼻歌を合わせる。
 カーリーよりずっと年上なのに、落ち着きがなく、天真爛漫で子供のような人だ。
 彼は、あの高名なサリヴァンの息子としても名を知られているが、あまり宮殿には寄りつかない。ユニヴァースと並んで歩く姿を見るのも、宮殿の外と決まっている。

「ランシルヴァ様の見ている世界には、詩が溢れていそうですね」

「溢れているね!」

「思いついた詩に、手を加えたり、直したりはされないのですか?」

 迷いがないのかと思いきや、ランシルヴァは、いやと首を振った。

「いまひとつ精彩が足りないと思えば、寝かせることもあるよ」

「寝かせる?」

「そう。いったん忘れておいて、しばらくしてから眺めるんだ。それで、あ、こうしようと後から直して、完成することもある」

「へぇ……」

 相槌を打っていると、偶然目に入った書店に、まさしく彼の詩本が並べられていた。
 この霞を食べて生きていそうな不思議な人は、紙を使って何冊かの本も出している。サリヴァンの息子、という肩書きは別としても、正真正銘、名の知れた詩人なのである。

「これをあげよう。新刊だよ」

「ありがとうございます……」

 詩本と思いきや、渡されたのは、いかにも女性の好みそうな情報誌であった。この本と、彼にどんな関係があるのだろう?

「記事を書いているんだ」

「えっ、この雑誌で?」

「女名を使って、流行情報を書いている」

「はぁ……」

 エステルは不得要領に頷いた。高雅な詩人であり、女性雑誌にも記事を書くとは。彼の頭の中は、どのようになっているのだろう……

「好きな詩人はありますか?」

「たくさんいるよ。特にルノーが好きかな」

 聞いたことのある名前に、カーリーも頷いた。全編殆ど、煙草と酒の、懐かしいアッサラームの古詩を書いた人だ。

「これだけは見ておいた方がいいよ。アッサラーム美術のすいを見ることができる」

 書店に立ち寄り、彼が絶賛したのは、アッサラームでも三指に入る、庭園建築家の手がけた庭の画集本であった。

「お詳しいですねぇ」

 感心して告げると、ランシルヴァは喉を鳴らして笑った。

「あのクロッカス邸の庭を手掛けた、著名人だよ」

「え、そうなんですか?」

 公宮に建つ、花嫁のお屋敷を見たことはないが、大変美しいと評判は耳にしている。

「ところで、君はどうして、しょんぼりしていたんだい?」

「あ、判るんですね……」

 意外な思いで、何気に失礼なことをカーリーは口走った。彼には、人の心の機微など無縁な気がしたのだ。

「小腹が空いたからね」

「はぁ」

 意味不明だが、大した抵抗もなく、カーリーは口を開きかけた。

「やや、あれはなんだい?」

 さぁ言おうと、口を開いた傍から、彼の好奇心は余所へ移った。
 美味しそうな匂いをさせている、饅頭屋を見つけて目を輝かせている。声を掛ける間もなく、脱兎のように屋台へ突撃してゆく。
 心変わりの激しい人だ……詩人とは、皆ああなのだろうか?
 間もなく戻ってくると、どうぞ、とカーリーの分も渡してくれた。

「美味しいねぇ」

 幸せそうに頬張る姿が、一瞬、カーリーよりもずっと年下に見えた。
 口に拡がる甘味は美味しく、加えて子供のように笑う彼を見ていると、自分が子供だと思い悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えた。

「……ん? 何を話していたんだっけ?」

「美味しそうな饅頭だなぁって、話していたんですよ」

「そっかそっか」

 朗らかな笑みにつられて、カーリーも笑い声を上げた。
 玻璃のように澄んだ笑い声は、天高く響き、道行く人を少しばかり幸せにした。ランシルヴァも慈しむような眼差しで見下ろしている。
 彼は――
 カーリーが思う以上に、実はカーリーの声に大層惹かれており、度々詩を創る閃きに変えているのだが、本人はまるで気付いていなかった。




『天高く』 - カーリー -


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