アッサラーム夜想曲

ナディア・5





 ― 『神威・三』 ―




 明朝。高地から、サルビア軍の進軍を見下ろし、先頭に立つムーン・シャイターンは、凛然と声を張り上げた。

「ノーヴァ海岸はルーンナイトが固守してくれる。我々中央の使命はただ一つ! ハヌゥアビスに決勝することだ!!」

「「オォッ!!」」

 闘志を漲らせて味方が吠えると、神速で高地を駆け下り、重たい機動のサルビア軍に衝突した。
 衝突した前線から血しぶきが噴き上がる。
 サルビア軍の重装歩兵、硬い鉄壁に、先頭の歩兵がすり潰されたのだ。それでも歩兵達は突破口を作ろうと果敢に立ち向かった。
 策戦通り、ヤシュム、ナディアの中央混成部隊が前線を叩く間に、右翼、左翼の将ら――アーヒム、デメトリスが、巧みに窪みや杭の合間に伏兵を配置した。
 しかし、騎馬では十分な進退が取れない!
 衝突と共に、ナディアはすぐに騎馬隊の不利を悟った。
 敵の戦車や重装四足飛竜に対して設けた、深い塹壕ざんごうや杭の残骸が、思った以上に足場を酷いものにしていたのだ。
 しかし、敵もこちらの騎馬隊に対抗して、後続部隊に騎馬隊を用意していることに気付くと、逆手に取る案を思いついた。

「ヤシュム! 伏撃の時は歩兵で攻めましょう!」

「何!?」

「これでは騎馬を生かせない。敵騎馬隊の馬を仕留めれば崩せるっ!」

「よし分かった!」

 一方アーヒムは敵を引きつけ、伏兵の配置まで誘い込もうとしていた。

「歩兵隊前に出ろ!」

 ヤシュムの指示に応じて、騎馬編隊の合間から歩兵隊が滲み出してきた。次いで「合図を待って、馬を狙え!」と指示を飛ばす。

「今だ! アーヒムに続けぇ――っ!」

 敵進軍の両脇に伏した兵に向かってヤシュムが叫ぶと、隠れていた味方は一斉に立ち上がり、左右正面から挟撃した。正対する歩兵隊も果敢に馬を仕留めると、機を逃さず敵の鏖殺おうさつに成功した。
 アッサラーム陣営から歓声が沸き起こる。
 しかし、勝機を掴みかけたところで、敵軍から更に大きな歓声が沸き起こった。
 騎乗したハヌゥアビスが、僅か数百の精鋭を連れて、眼前に姿を現したのだ。
 先頭を駆けるナディアは、敵の総大将を初めて目の当たりにした。
 あれが、ジークフリード・ヘイル・ハヌゥアビス!
 想像していたよりも、ずっと若い。恐らく、ムーン・シャイターンと年は大して変わらないはずだ。
 それでも互いに強大な力を秘めていることは間違いない。額に宝石を持つ者同士、剣を交えれば苛烈を極めることだろう。

「シャイターン!」

 凛としたハヌゥアビスの声が、戦場を一喝する。
 ムーン・シャイターンは既に駆け出していた。少数の親衛部隊だけを連れて、ハヌゥアビスに対峙する。背を見せて自軍に戻るハヌゥアビスを、ムーン・シャイターンは躊躇なく追いかけた。
 罠を危惧して追いかけようとするナディアを、ヤシュムは止める――

「落ち着け! 場所を変えるだけだ!」

「――しかし!」

「行っても、邪魔になる!」

 反論を口にしかけたが、突然の雷鳴に声はかき消された。空が落ちてくるような轟音に、間近に話すヤシュムの声すら通らない。
 ナディアに限らず、敵も味方も唖然として身をかがめて空を仰ぎ見た。
 空は青白く照らされ、次の瞬間には暗闇に染まった。
 これが、宝石もち同士の衝突なのか……!
 聖戦の時でも、これほどの衝突を目にすることはなかった。あの時、ハヌゥアビスはいなかったのだ。
 崩れた足場は、敵の戦車や重量四足騎竜のせいばかりではない……激しい神力の応酬による爪痕でもあったのだ。

「――進めぇっ!!」

 耳をろうする轟音が途切れた瞬間、ヤシュムが厳然と怒号する。我に返ったナディアは、目の前の戦況に集中した。味方も一斉に敵に向かって黒牙を振り上げる。

「「オォッ!!」」

 彼我ひが入り乱れての接近戦となり、鋼がぶつかり合い、戛然かつぜんと響かせ火花が散った。
 顔を背けたくなるような、血に染まる修羅の世界――青い燐光と、黒霧が空気を満たし、衝突する度に人影が消えていく。
 なんて光景だ! 集中が乱れる……!
 幸いにしてヤシュムの麾下きか部隊は勇猛果敢な上に精鋭揃いで、補佐として剣を振るうナディアの配置は、前線において最も安全といえた。
 ヤシュムの十分な力量を見て、ナディアは補佐に徹することで味方の士気を繋いだ。押され気味の前線に駆けつけては、綻びを修復するように援護を続ける。
 数では劣っていても、シャイターンの神力を見て士気は高まっている。
 敵もそうだが、一種の暗示にかかっている状態であった。
 血を流して剣を振るう者は、興奮のあまり、恐らく痛みすら飛んでいることだろう。
 血の流れた戦場に、日が落ちる。
 決着には至らず、互いの陣営を睨み合いながら野営地へと引き返した。
 撤退するハヌゥアビスをムーン・シャイターンは追い駆けたようだが、深追いはせず、間もなく追討を諦めた。
 戦況は膠着状態が続く――。
 仕切り直しの度に布陣を敷いても、日暮れには目を覆いたくなるような乱戦へと発展した。




ナディア・5


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