アッサラーム夜想曲

ナディア・1


 ナディア・カリッツバーク――中央広域戦空路大将、ノーグロッジ上空総指揮官。

 中央広域戦――史上最大の東西戦争では、ノーグロッジ上空にて指揮を執る。
 アッサラーム軍は、開戦に向けてノーグロッジ海域の行軍経路を調べ上げ、切り立つ渓谷、難関地形の利を掴んだ上で開戦に臨めたものの、これを警戒したサルビア軍は三十万もの大軍勢を率いてノーグロッジに迫りつつあった――




 ― 『ノーグロッジ海上防衛戦・一』 ―




 アッサラーム軍は東西戦に向けて、数回に渡りノーグロッジ海域、また中央経路の行軍経路を調べ上げていた。
 ほぼ全隊が参加した、ノーグロッジ作戦である。
 ムーン・シャイターンと共にこの作戦の指揮を執ったナディアは、開戦に臨む海面地形に精通していた。
 ノーグロッジにおいて不利を悟ったサルビアは、非常な警戒を見せた――アッサラーム軍二万に対して、三十万もの大軍勢で攻めてきたのである。
 劈頭へきとうではノーヴァ上空に配置されたサルビア軍二十万よりも、実に十万以上も多かったのだ。
 衝突を目前に控え、ナディアは側近達を天幕に召集すると、最後の総括軍議を開いた。

「三十万もの大軍勢で迫ってきたのは、ノーグロッジにおいて自信がない証拠です。初日に奇襲を仕掛ければ、成功する可能性は高い」

 圧倒的な兵力差を前に、ナディアは逆に敵の不安を見抜いて自信をつけた。机に手を置いて立ち上がると、持久戦に臨むつもりでいる将達の顔を見渡して、明晰に語りかける。

挟撃きょうげきに良い、激する潮流に立つ渓谷があります。持久戦における要塞とするには惜しい」

 険しい渓谷狭路は、兵力差を埋めるための自然要塞として目星をつけていたが、地の利でからめ捕った方が巨利がある――それがナディアの結論であった。

「ですが、短期決戦を仕掛けるには、危険が多過ぎやしませんか?」

「そうです。我々の使命は殲滅ではない。敵の意識を集めたまま、離さぬことでしょう」

 元々、長期戦で粘るつもりでいた味方陣営は、初日に博打を打つような作戦に難色を示した。開戦前に、軍部で散々講じた布陣を崩したくはないのだろう。
 気持ちは判る。しかし、持久戦で殺してしまうには惜しい。敵を削れる見込みがあるのであれば、仕掛けるべきだ。

「しかし、奇策を投じるには、開戦初日が最適でしょう。狭路を退路に使えば、敵におよその地形がばれてしまう。日が経つにつれて、持久戦以外には何もできなくなりますよ」

 ナディアは懸念を語り説得を試みたが、将達は顔を見合わせるだけであった。

「大軍に挑み兵力を下げる危険を冒すよりも、注意を引きつけ、兵力を温存した方が得策ではないでしょうか?」

「あらかじめ講じていた通りに、地の利を生かした方がよろしいかと……」

 渓谷狭路を要塞として、巧みに攻撃をかわす作戦を将達は押した。とはいえ、総指揮権はナディアにある。全員の視線がナディアに集中した。
 論破する勝算はあったし、そうしても良かったが自重を選んだ。我を通すことは可能だが、今後を考えて総意を優先することにしたのだ。

「判りました。奥に位置する渓谷狭路は退路として確保し、左右の隘路あいろを挟撃に使いましょう」

「それがよろしい」
「うむ」

 納得した風に頷く将達を見て、ナディアはもう一つ提案した。

「向こうの兵力は脅威ですが、あれだけの兵力を維持するには、相応の輜重しちょう隊が必要なはずです。補給拠点を叩いて、敵の士気をくじいておきましょう」

 こちらはすぐに賛同を得られた。

「おっしゃる通りだ。戦場は広い。東に飛ばす斥候せっこうの数を増やしましょう」

「あれだけの重装飛竜を維持するには、相当に大変だろう。補給経路を隠すにも限界があるはずだ」

「斥候に精鋭を含めて、偵察と補給襲撃を兼ねさせれば良い」

「では、そのように」

「敵の戦闘隊形は整っている。明日には衝突するだろう」

 将の一人が開戦時期に触れると、話題は初日の開戦について移った。

「明朝、サルビア軍は包囲布陣、あるいは横隊の戦闘隊形で迫ってくるでしょう。神速に富む百程度の精鋭を動かし、衝突は避けて、敵を巧みにかき乱してください」

「心得ています。十分に攪乱かくらんして疲れさせたところを、誘い込み、襲撃部隊で叩きましょう」

 ナディアの意図を汲んで一人が言葉を続けると、周囲もすぐさま頷いた。

「サルビアの重たい装備は、ここでは不利だ。疲労も早いはず」

「いかにも追い詰めやすそうに見せかけ、敵の意識を引っ張りましょう。三十万は脅威ですが、それだけの兵力がここに集まっている分、ノーヴァと中央の負担は減らせているはず――必ず、耐え抜きますよ」

「「オォッ!!」」

 全員が闘志を燃やして、ひび割れた咆哮で応えた。

 +

 翌日。
 耳をろうする重装飛竜の咆哮が、海に切り立つ渓谷に響き渡った。
 眼下には、激しい潮流が渦巻いている。墜落すれば、そのまま死に至るよう海域だ。
 空一面を覆う朱金装甲のサルビア重装飛竜大隊を前に、アッサラーム陣営は、ナディアですら視覚的に圧倒された。
 判っていたことだ。明らかな兵力差、臆さない方がおかしい。だが――落とさやしない。凌いでみせる!

 宙に浮いた布陣で双方睨み合い、ナディアから機動合図を仕掛けた。

 ――伝令。前線の横隊を押し上げよ。

 サルビア軍も間髪おかずに、横隊の戦闘隊形で前線を押し上げてきた。
 機動直後こそ、アッサラーム軍の動きは固かったが、連携機動を進めるうちに良くなっていった。いよいよ前線を衝突させると、臆することなく敵陣営に先制を浴びせる。
 ややもすれば、敵を翻弄し始めた。
 小回りを活かせるこの地形では、アッサラーム軍に分がある。味方の健闘を見たナディアは、昨夜、自ら廃案にした策がふと惜しくなった。

 ――大軍を獲るには、今日をおいて他にないのだが……いや、決めたことだ。集中せねば――伝令、隘路への誘導を開始。

 伝令に指示を出すと、すぐさま起動合図用の発煙筒に火が点けられた。
 一網打尽とはいかずとも、敵が戦地に不慣れな初日のうちに、少しでも多く戦力を削っておきたい。
 僅少きんしょうの一隊を釣り出し部隊として前方へ派出し、サルビア軍の追撃を誘ったが食いつきは鈍かった。
 切り立った渓谷は、サルビア軍の幅を取る重量装甲飛竜の戦場には不向きで、追撃を嫌がったのだ。

 ――仕方ない……伝令。前線を押し上げよ。

 隘路に誘い出したい。
 ある程度の被害を覚悟で、百ずつの数個編隊を敵の豊富な横隊に挑ませた。
 おじけづいた風を装い、退き色を見せると、ようやく敵も食いついた。細道を進むにつれて、敵はおのずから一列縦隊になることを強いられ、十分に間延びしたところを、あらかじめ配置しておいた味方による頭上からの投石で撃墜した。
 この奇策は綺麗に成功したものの、誘い込んだ隘路は細く距離もなかった為、大打撃には至らなかった。渓谷狭路であれば、万もの軍勢をくじけた可能性があった――ナディアが惜しむのも無理はない。
 以降、敵も慎重になり、アッサラーム軍の待ち構える狭路を見れば撤退するようになった。

 当初の予定通り――
 決着を見せない衝突が続く。
 死角からの奇襲を仕掛けては、狭路に逃げ込むアッサラーム軍に、サルビア軍は攻めたり退いたりと、あの手この手で挑発を仕掛けてきたが、ナディアは頑として深追いを避けた。




ナディア・1


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