アッサラーム夜想曲

アースレイヤ・2





 ― 『宮殿の決断・二』 ―




 終課の鐘が鳴る頃には、挙兵に応じる旨を烽火で知らされた。
 恐らくルーンナイトも、こうなることを覚悟をしていたのだろう……。
 おおやけの知らせとは別に、彼には個別に伝令を送ってある。
 託したのは一言――“撤退を見誤るな”
 いよいよとなれば、アースレイヤが指揮を執る。
 その時は――
 国の存亡を賭けて、アッサラームで迎え撃つことになるだろう。聖都を血で穢すことになるが……和睦が成立しえない以上は仕方がない。
 もし――
 ノーヴァに初めから、ナディアをつけていたらどうなっていただろう。
 彼もまた優れた知略の将だ。サルビアの総攻撃にも違った結果が出ていたかもしれない。
 いや、それ以前にノーグロッジの守備手薄を見抜かれ、攻め込まれるのが落ちか。
 百万を僅か三十万で凌ごうとしているのだ。
 これくらいの戦況困難は予測していた。それでも、死地へ赴くルーンナイトを想うと心は陰る。
 非情で知られるアースレイヤだが、血を分けた弟をかつて命懸けで守り抜いたことがある。それは決して、有事に宛がう為ではなかった。

 +

 朝課の鐘はとうに鳴り終えているが、西妃レイランの私邸を訪れると、灯りを点けて待っていた。
 抱きにきたわけではない。バカルディーノの私兵を動かしてもらう交渉にきたのだ。

「アースレイヤ皇太子」

「西妃……」

 今でも、互いを愛称で呼ぶことはない。
 公宮に相応しい繊細な麗貌だが、彼女は権謀術数における百戦錬磨だ。いかにも儚げな笑みで、冷たい炎のような心を覆い隠している。
 それは、アースレイヤにも言えることだ。お互いに、感情を隠すことに慣れ過ぎてしまった。とはいえ、長年連れ添ってきただけあり、言葉にせずとも判ることはある。

「酷い方。ようやく私のことを、思い出していただけましたのね」

「貴方を忘れたことなんて、一度もありませんよ」

「ふふ……ご心配なさらなくても、バカルディーノ一門、アースレイヤ皇太子を最後まで御支えいたしますわ」

 流石に話が早い。用件を承知している。西妃はアースレイヤの足元に跪くと、優雅に一礼してみせる。

「助かります。宮殿会議もこうであればいいのだけど」

「ご謙遜を。思うように運べましたのでしょう?」

 つと顔を上げた西妃は、美しい灰青色の瞳でアースレイヤを見上げた。
 公宮美女を飽きるほど見てきたアースレイヤでも、彼女の典雅な所作には今でも見惚れることがある。
 従順を装いながら、アースレイヤから軍事情報を引き出そうとしている。
 公宮の花に喩えられる美貌よりも、彼女のそういう保身と野心に溢れた姿勢の方が好ましい。

「貴方も、私の時間が無限にあると勘違いしている? でも、いいよ。少し話そうか」

 窓辺の絨緞に腰を下ろすと、西妃も隣に腰を下ろして身体を寄せてきた。細腰を引き寄せながら、召使の持ってきた酒に口をつける。

「ノーヴァ海岸でサルビアを迎え撃ちます。指揮は、ルーンナイトに任せる」

「お辛いでしょう?」

「そうだね。貴方も私も、どこにも逃げ場がない。辛いものだよ」

「シャイターンがお守りくださいますわ」

 おやおや……と思い、つい西妃の顔を見てしまった。やはり半分は冗談のようだ。

「子供の頃は、よく思ったものだ。シャイターンが本当に守護神であるのなら……なぜ、守護大地を血に染めるのだろうと」

「答えは出ましたの?」

「陛下は“東西統一”の夢を追い駆けていらした頃、国境があるから戦争は起きるのだと、そうお答えになられた。貴方はどう思う?」

「叶わぬ夢について?」

「いいえ」

「――シャイターンですら、ハヌゥアビスと争うことを止められませんのよ。人の身で泰平を望んでも、到底叶わぬ夢ではありませんの?」

 思わず笑みを浮かべて、彼女の額に口づけた。今、それ以外の回答は欲しくなかった。
 彼女のこういうところが好きだ。アースレイヤの心の機微を読んで、ここぞというところは絶対に外さない。

「そうだね。国境があろうがなかろうが、争いは起こる。むしろ明確な敵が在るおかげで国はまとまる。事実、西の結束は固い。アッサラーム侵攻の憂慮さえ解消されれば、サルビアの存在は決して害悪ではないと、思っているくらいだよ」

 敵を歓迎する口ぶりに、明晰な彼女も抵抗を感じたのか、沈黙で応える。

「流石に、ついてこれなかった?」

「お気をつけあそばせ。口は災いの元ですのよ」

「ふふ、判っていますよ」

「それで、諸侯は挙兵に応じましたの?」

「駆け引きはもうお終い?」

 美しい笑みはそのままに、西妃の瞳に微かな苛立ちが灯った。

「どなかしら。時間が無限にあると勘違いなさっていると、最初に釘を刺されたのは」

「やだなぁ、西妃。夜更かしのせいか、苛立っているみたいだ……」

 からかうように顔を近付けるアースレイヤを、不敬にも彼女は扇子で遮った。

「自問自答は祭壇の前でなさいませ。私は答えを映す鏡ではございませんのよ」

「そうだね……集めた私兵を含めて、ノーヴァ海岸に十万の布陣を敷けるはずだ。死にもの狂いで攻めるだろうノーヴァ残兵を先頭に立たせれば、それなりに士気は上がると思う」

「追加で五万ですわ」

「ん?」

「我がバカルディーノ家を含む公宮勢力から、飛竜精鋭を主とする五万の軍勢を、アースレイヤ皇太子に託します」

 告げる凛とした口調に、ふと彼女への賞賛が芽生えた。

「……西妃、貴方には本当に助けられる」

「我が喜びですわ」

 眼の錯覚ではなく、星明かりの魔性をもらい受けて輝く姿は、女神のように美しい。純真無垢の頃よりも、毒を吸って凛と咲いた今の姿の方が良い。

 ――リビライラ。貴方が西妃でいてくれて良かった。

 +

 ノーヴァ海岸に向けて、早くもルーンナイトは進軍を開始した。
 アルサーガ宮殿からも、間もなく進軍を開始する。徒歩での行軍は何十日かかるか判らないので、全隊飛竜に乗っての高速移動である。
 斜光の射しこむ大神殿――
 祭壇前に跪くアースレイヤに声をかける者はいない。西妃に指摘された通り、自由に心を吐露できるのはここだけだ。
 アースレイヤに言わせれば、信仰と戦争は別である。
 世の中は、東西の闘いを“聖戦”と崇めるが、欲に濡れた会議の顔ぶれを思い出すと、鼻で哂いたくなる。
 いかに高次元の存在が、純粋に闘いを求めたとしても、人は人の目線でしか物事を捉えられない……。
 ふと、黒い眼差しが脳裏をよぎる。
 花嫁は、青い星の御使いにありながら、意外にも東西の衝突に疑問を抱いていた。
 いつだったか、東西を断絶する決して越えられない壁を築くことはできないのかと、尋ねられたことがある。
 国境を失くす思想とは真逆の考えを、個人的には面白いと思った。天まで届く壁を築けば、互いに二度と顔を合わせずに済む……。
 もし、そのような壁を築いたら、壊すのは果たして誰であろう?
 沈黙。
 答えは見つからぬまま、小さな吐息を洩らした。
 ルーンナイトからは“アッサラームに尽くす”と言伝ことづてを聞いた。聖都に、そしてアースレイヤに宛てた言葉だ。
 今は、埒もない思いにふけるよりも、彼の為に祈ろう……。

 ――ルーンナイトの武運を祈る。神がアッサラームをよみしたもうなら、どうか聴きれて欲しい……。




アースレイヤ・2


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