アッサラーム夜想曲

アースレイヤ・1


 アースレイヤ・ダガー・イスハーク――アッサラーム軍大将、アルサーガ宮殿会議長

 中央広域戦――史上最大の東西戦争では、アルサーガ宮殿に残り宮廷政治の中心に立ちながら、通門拠点と共に後方支援の要を務める。

 アッサラーム軍は陸路、空路共にサルビアの主勢力と激突し、戦場は苛烈を極めた。
 圧倒的戦力差で開戦を迎えた中央大陸の北、ノーヴァの広大な空では、ジャファールやアルスランらがわずか五万の勢力で快進撃を見せるも、サルビア軍の総攻撃を浴びて、ついにノーヴァ壊滅へと追い込まれた。
 ノーヴァが苛烈を極める時――
 陸路ではジュリアスら率いるアッサラーム軍は、宿敵ハヌゥアビスを歯牙に捕える。果敢に攻め込み善戦を展開するが、ノーヴァ壊滅に勢いづいた敵陣営に押され、一時退却を余儀なくされた。
 勢いを増したサルビア軍は、アッサラーム軍の本陣を中央に足止めしたまま、空の精鋭をバルヘブ西大陸の最東端――かつて聖戦の舞台となったスクワド砂漠の先へと向かわせようとしていた。




 ― 『宮殿の決断・一』 ―




 ノーヴァ壊滅の知らせは、聖都アッサラームにも届けられた。
 現在、アルサーガ宮殿の最上階、数百人を収容できる「光の間」にて、大規模な宮殿会議が開かれている真っ最中である。
 金縁の格子天上の中央には、巨大な天窓が穿うがたれている。
 天窓を覆う淡い青色の硝子板から、清らかな陽光が降り注ぎ、机上に敷かれた悲惨な戦況地図を、無情なまでに明るく照らしていた。
 会議は劈頭へきとうからして紛糾。
 しかし、議長を務めるアースレイヤは沈黙している。意見を求められても首を振り、周囲の者に自由に喋らせていた。

「ノーヴァを壊滅させたサルビア軍は、勢いに乗ってこちらへ向かっているのだろう」

「ジャファール将軍の行方は判らないのか……」

 頼りなげに顔を見合わせて、不得要領に頷く貴顕きけん達。気持ちは判らないでもないが、ため息をつくばかりではどうにもなるまい。

「この状況で、当てにしてはいられないだろう。一刻も早く迎え撃たねば」

 事の重大さに冷や汗を掻きながらも、地図を見つめて明晰に語る者もいる。

「アルスラン将軍に向かってもらうわけにはいかないのか?」

「前線に戻れぬほどの戦傷を負ったと聞いているが……」

 眉根を寄せて、暗いため息をつく。空戦の象徴とも言える最高の乗り手を失ったことは、ノーヴァ壊滅に輪をかけて彼等を混乱に突き落としていた。

花嫁ロザインに今一度お戻りいただき、戦況の先視をお窺いしてみてはどうか」

 縋りたい気持ちは判らないではないが、花嫁には国門に居てもらわねば困る。
 いずれにせよ、アッサラームを憂いて口を開く者は限られている。そうでもない者との温度差は激しい。
 例えば、ベルシア和平の外交にあたらせた要人達は、この局面において実に冷静でいる。大方、亡命の算段がついているのだろう。
 周囲に適当に合わせているが、内心では己の富と権力の安泰しか考えていない。そうした姿勢に嫌悪はないが、今回ばかりは癪に障る。アースレイヤにも過分に火の粉が降りかかるのだから。

「聞けば山岳の蛮族共は、湿地帯におびき寄せ、酸鼻を極める虐殺を行ったそうではないか。何故報復しない。山岳一帯を火の海に沈めればいいのだ。サルビアの進軍も阻める!」

 一人が憤怒ふんぬもあらわに、声を荒げて激しく机を叩く。たちまち口論に火が点き、止めようのない舌鋒ぜっぽう合戦が始まった。

「それは、アッサラーム軍が中央を抜かれるとおっしゃるのか?」

「馬鹿な、それでは中央に留まるアッサラーム軍はどうなるのだ」

「侵略すること火の如くと、そのままではありませぬか」

「しかし既に十万を越える、アッサラームの兵士が命を落としているではないか……! ありえないと言い切れるのか!?」

「確かに。追い風は向こうに吹いている。勢いを増したサルビア勢は危険だ」

「何を言うか。難関障害地形に挑み、高所に布陣せしめたのだ。一進一退の攻防にも、今に神風が吹く!」

「ならば、どうしてノーヴァは落ちたのだ……!」

「いかにジャファール将軍といえど、サルビアの総攻撃を食らったとあらば仕方あるまい……」

「そうだ。救いようのない孤立した死地を、よくぞあそこまで生かしてくれた」

「しかし空の要を欠いたのもまた事実だ。痛い損失と言わざるをえないな」

 ノーヴァに関しては、アースレイヤにも疑問はある。撤退の判断が遅過ぎやしなかったか。決戦空域の敵軍勢が膨れ上がった時点で、劣勢は明らかだったはず。
 後退して立て直しを図った方が得策ではなかったか。撤退により中央の士気は下がったかもしれないが、兵力をもう少し残せたはずだ。
 ジャファールは冷静に戦況を俯瞰ふかんする将だ……恐らく、撤退を説いただろう。
 しかし、実際は壊滅するまで撤退命令を出さなかった。いや、出せなかったのだ。明晰に語る彼に、反駁はんばくを浴びせる光景が眼に浮かぶ……。

 ――ノーヴァの件ではっきりした。この国に、敗戦を受け入れる度量はない。

 たとえ聖都にサルビアが迫ったとしても、最後の一人まで命を散らして戦うのだろう。国民皆兵令を出すまでもなく、女子供までもが武器を手にする。無血開城など夢のまた夢――
 ならば、アースレイヤの取る道は一つしかない。
 席を立つと、地図上のノーヴァ海岸に、アッサラーム軍の駒を追加で重ねた。

「迎撃準備が必要でしょう。国門を守るルーンナイトに総指揮を任せます。ノーヴァを撃破したサルビアの猛攻を、ノーヴァ海岸で食い止めるのです」

 表には出さないが、苦渋の選択だ。本音を言えば、ルーンナイトを行かせたくない……しかし、それしか道がない。
 劣勢色濃い中、下がった士気を立て直し、防衛の要で指揮を振るうことは容易ではない。それを成しうる将は今、それぞれの拠点を保つことに精一杯なのだ。
 日頃から将兵に交じって行軍をこなしているルーンナイトは、周囲の人望も厚い。中心になれるだろう。
 ただ、ゆけば帰ってこれるかも判らぬ、過酷な死地だ……。

「おぉっ!!」
「ルーンナイト皇子、自ら行ってくださるのか!」
「なんと心強い。兵の士気も高まることだろう」

 アースレイヤの言葉に、大半の者は喜色を浮かべたが、一方で不安そうに狼狽える者もいた。敗戦が見え始めると、人の反応も顕著けんちょに現れるものだ。
 勝機がないわけではない――。
 ノーヴァ壊滅に挫けず、よく中央は持ちこたえている。
 流石はムーン・シャイターンが率いているだけあって、士気はどこよりも高い。この後の立て直しが上手くゆけば、アッサラームに風が吹く可能性は十分ありえる。

「現在陸路から後方支隊の五万の混成部隊がスクワド砂漠へ向かっています。ノーヴァを逃れた四百の精鋭も然り――それでも尚、サルビアを迎え撃つには充分とは言えません」

 敢えて言葉を切ると、景色を愛でるように全員の顔を眺めた。見返す視線の揺るがぬ者、視線を彷徨わせる者……様々だ。

「ここもまた、戦場であることをお忘れなく……背を向けて逃げることは、この私が許しませんよ」

 特定の相手に目線を合わせて笑いかければ、判り易く狼狽える。
 ムーン・シャイターンに命じられた形ではあるが、アルサーガ宮殿の最大勢力、ヴァレンティーン・ヘルベルトに血の制裁を下したのはアースレイヤだ。おかげで笑みに箔がついた。すんでのところで寝返り、首の皮を繋いだ彼等にしてみれば、さぞ恐怖であろう。

「恐れながら、私兵五千を向かわせます」
「同じく、私も……」

 おずおずと挙手する顔を見渡して、アースレイヤは冷めた心を微笑でよろう。

「ここにいる、高貴な血筋の一人一人が、聖都アッサラームに栄光と繁栄のいしずえを築くのです。どうか、御力を貸してください。もちろん、成果に対しては十分に報いる準備があります」

 揺れていた視線も定まった。利を計り、心を決めた彼等の眼差しは、全てアースレイヤに向けられている。

「ノーヴァ海岸で食い止めます。散地さんちを許さず。サルビア兵に一歩たりとも砂を踏ませてはいけません」

「「おぉっ!!」」

 今度は全員が目の色に闘志を宿して頷いた。燃料が何であれ、一つの目的に闘志を燃やしていれば、人はおのずとまとまる。

 その日のうちに、ノーヴァ海岸に向けた挙兵命令が国門に発せられた。




アースレイヤ・1


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