アッサラーム夜想曲

『栄光の紋章』 - ジュリアス -





 ― 『栄光の紋章・十』 ― ジュリアス




 聖霊降臨日。
 四十雀しじゅうからは祝福を囀り、ザインに古来から伝わる、優しい弦の音色は、一月の天空に響き渡った。
 隊商宿キャラバン・サライの一室。ナフィーサの指揮の元に、光希の代わりを務める少年兵の準備が整った。頭から長いベールをかけて、肌の見えぬ服を着て手袋をすれば、中の人物が誰であるかは判らない。
 その様子を、光希は部屋の隅で静かに眺めている。不満そうではないが、どこか寂しそうに見える。
 部屋を出る間際になっても視線を剥がせずにいると、光希は微かに笑みを浮かべた。

「待ってるよ。行ってらっしゃい」

 結局、光希が折れてくれて、代役を立てることに決まったが、満足かと聞かれたらそうでもない。
 宿を出た後も、恐らく窓辺に立っているであろう光希を、仰ぎたい衝動に駆られた。そんな真似をすれば、周囲の眼に不自然に映ってしまう。我慢するしかない……
 ありとあらゆる商店、中でも巡礼洋品店は賑わいを見せている。街中の人が聖殿に向かって大移動をしていた。
 ここへ到着した日、閑散としていた通りからは想像もできない盛況ぶりである。
 馬車は走り出し、やがて蓮花はすの聖殿が見えてきた。
 大都に暮らす大勢の人々が、清らかな装いで集まっている。三家も揃い、西に名を馳せる名士、族領の姿もある。
 続々と車が続く中、アッサラームの象徴、青い双竜と剣の紋章旗が翻ると、集まった群衆から一際大きな歓声が上がった。
 アッサラーム・ヘキサ・シャイターン軍の総大将、ジュリアス・ムーン・シャイターン、その花嫁を乗せた天蓋のついた豪奢な二輪装甲車が通過する際には、少しでも近くで見ようと、前に出ようとする群衆を警備隊が整備するほどであった。
 恭しい手つきでジュリアスは花嫁の――光希の代役を務める若い兵の手を取った。
 ナフィーサに指導を任せただけあり、彼の演技は様になっていた。
 屋内で座す時はナフィーサを使うが、歩く姿を見せる時には、背格好の似ている子供を採用している。
 偽物と知らぬ人々は、崇敬の眼差しで花嫁を仰ぎ、瞑想に耽った。
 やがて――
 神官達が祝詞を上げると、超常の神秘が始まる。
 蝋燭の灯された祈祷台には、砂で果てた竜の骨が、供物として捧げられている。大地に宿るシャイターンの神秘を借りて、竜は霊的に再生するのだ。
 静けさが満ちて、信徒は沈黙の祈祷いのりを捧げる。
 聖霊に満たされた骨の抜け殻は、霊の言葉を語りかける。星の廻りを見極め、道を示す。

“領主は、リャン・ゴダールに”

 広大に響き渡るは、神のごとく!
 新たなグランディエ公は、十年保有していたザインの御旗を、次なる領主、リャン・ゴダールへと手渡した。
 割れんばかりの喝采が鳴り響いた。革命軍の若者達も、笑顔で壇上に上がるリャンを仰いでいる。
 儀式の大部分は終わったが、聖霊降臨日の祝福は一日続く。
 この後、供物や祈祷具を手に持った参列者は、ザインに点在する礼拝堂を巡りながら練り歩くのだ。その光景はもはや国民大移動である。
 アッサラームの代表として、ジュリアスも参列を求められたが、ナディアに任せて早々に引き上げた。
 ひっそり静まった隊商宿に戻ると、光希は紅茶を飲んで寛いでいた。

「お帰り」

 朗らかな笑みに安堵し、傍へ寄ると、楽しそうに瞳を輝かせてこちらを仰いだ。

「どうだった?」

「リャンが選ばれて、領民は喜んでいましたよ」

「そっかー! 見たかったなぁ」

 晴れやかな笑みを浮かべ、少し悔しそうに呟いた。後ろめたさがこみあげ黙すると、光希は苦笑を浮かべた。

「いいよ、もう」

 只の口癖にしては、声に説得力があった。意味を計りかねていると、光希は黒い眼差しを和らげ、淡く微笑んだ。

「アッサラームに帰る前に、飛竜に乗って散歩したいな」

「いいですよ」

 快諾したものの――用事が重なり、実現するには日を要した。

 +

 出発前夜。
 飛竜の背に光希を乗せて、ジュリアスは空を翔けていた。穏やかな風に任せて、静かに滑空する。
 遠く離れた所で、砂の上に下りた後は、肩を並べて青い星を仰いだ。
 頭上には、幾つもの彗星が飛来している。神々が遠くへ旅立とうとしているのだ。

「綺麗だねぇ……」

「どこにいても、星明かりは変わりませんね」

 眼が眩むような星空……まるで、光希のようだ。

「そうだねぇ……どこにいても、青い星を仰げるね。向こうから見たら、この星はどんな風に見えるのかな?」

 不思議な問いかけに、ジュリアスは僅かに首を傾けた。

「あるがままに、見えるのでしょう。シャイターンには全てお見通しなのですから」

 光希は、淡い笑みを浮かべた。澄んだ眼差しでジュリアスを見つめた後、一途な眼差しを天空に向ける。

「……僕が昔いた国では、自分達の立っている星の青さを知ったのは、長い歴史のずっと後だったんだ。はるか天空の彼方まで旅した人が、『地球』は青かったって伝えたんだよ」

 チキュウ――
 彼の口から時々こぼれる、青い星の名だ。我々がヴァールと崇める星を、光希は出会った頃から、違う名で呼ぶ。
 腕を引いて抱き寄せると、光希は黒い双眸でジュリアスを見上げて、幸せそうに微笑んだ。

「好きだよ」

 瞬く間もなく、彼の方から唇に触れるだけの口づけを与えられた。波紋のように、歓びが全身に広がっていく。

「私も、好きです。聖霊降臨日に、寂しい思いをさせてすみませんでした」

「いいよ……僕も判ったから」

 顔を覗きこむと、目が合うことを避けるように、光希は照れ臭げに視線を伏せた。

「演技と知っていても、僕じゃない誰かを花嫁と呼んで、恭しく振る舞うジュリの姿を見るのは、辛かった」

「光希……」

 嫉妬してくれたと知り、歓びが芽生えた。見つめていると、光希は、はにかんだ笑みでジュリアスを見た。

「変わらずに今も、ジュリだけの僕だよ」

「光希!」

 この間の夜は聞けなかった告白に、ジュリアスは感激した。

「そろそろ、帰る?」

 照れ臭げに立ち上がろうとする光希を、思わず腕を引いて抱きしめた。

「どうか、もう少しこのまま」

 腕の中の温もりに幸せを感じていると、光希はぽりぽりと頬を掻いた。

「……僕を好きでいてくれて、ありがとうね」

「それは、私の台詞です」

「想い続けるって、難しいと思うんだ。両想いになれることが奇跡だし、恋人になれても、気持ちが変わることもある……」

「そんなこと――」

「あるんだよ、普通は。でも、ジュリと一緒にいて、そういう不安は感じたことがない。すごいことだと思う」

「当たり前です。幾千の夜が過ぎても、変わらずに光希だけを愛しています」

 この想いが褪せる日など、永遠にこないだろう。初めて贈る言葉ではないのに。耳の先まで赤く染まる様子に、思わず笑みが零れた。

「……ジュリにフラれたら、僕は立ち直れないだろうな」

「ありえません」

「ジュリは僕にフラれたら、泣く?」

 泣くくらいで、済むはずがない。
 たとえ、光希の気持ちが離れたとしても、拒まれたとしても、光希を離せないだろう。今も、想像しただけで胸が締め付けられた。

「……考えさせないでください」

 人の気も知らないで、光希は悪戯が成功したような顔で、愉しげに笑った。

 翌日。
 いよいよザインを発つ日。街中の見送りを受けて、アッサラーム軍は門を潜り抜けた。砂漠の野営地に着くなり、ジュリアスは隊伍を整えた。
 号令をかけようとするところへ、単騎でリャン・ゴダールが駆けてきた。
 用向きを尋ねようとする仲介を無視して、好き勝手に野営地を走る。誰かを探す素振りに、ジュリアスは嫌な予感を覚えた。

「何の用ですか?」

 ついにジュリアスの前に立った青年を睨むと、屈託のない笑みを浮かべた。

「お見送りにきました」

 そう言いながら、彼の眼はジュリアスの後ろに注がれている。光希は一兵卒に変装しているが、この男には顔を知られているので、意味はない。

「殿下、心から感謝しております。とても言葉では言い尽くせません……!」

 足元に跪くリャンを見て、光希はおずおずと進み出た。

「貴方が無事で良かった」

「必ず、治安は良くなります。どうか、その時にまたいらしてください」

「はい。聞いていた通り、風光明媚な街でした。いつかまた、ゆっくり見れたらいいなと思います」

 その言葉に、リャンは感極まったように言葉を詰まらせた。光希はリャンの額に手を伸ばした。

「光希――」

「健やかな心の、救われし幸いな者よ。この先、百年、千年……シャイターンの守護が続きますように」

 短く言祝ことほぎ、祈りを捧げた。
 跪いた男は、潤んだ瞳で光希を仰いでいる。感動の余り、声も出ないらしい。
 面白くない……光希の不興を買ってまで、聖霊降臨日に身代わりを立てた苦労が水の泡だ。

「もういいでしょう。行きますよ」

 うんざりしつつ、二人を引き離した。
 慌ただしく飛翔した後も、しばらく不満な気持ちは後を引いた。

「許してよ、精霊降臨日に言えなかった分、祝福したかったんだ」

「……」

 責める口調ではなかったが、承服しかねてジュリアスは口を閉ざした。
 しばらく、飛竜の背で沈黙が流れていたが、遠洋まで飛ぶ渡り鳥の群れに遭遇し、沈黙は破られた。

「わぁ――」

 心底感動したように、光希は眼を輝かせて歓声を上げた。

「すごい。なんて数! アッサラームに向かって飛んでる!」

 数千と群れ飛ぶ鳥の大移動は、確かに雄大で美しい。てらいのない笑顔を見たら、燻っていたわだかまりは自然に解けた。

「大陸の果てまで飛んでいく鳥です。しばらく眺められますよ」

「アッサラームに帰れるんだね……」

 その声には、憧れの響きがあった。共に金色の聖都に帰れる幸せを、ジュリアスもようやく噛みしめた。




『栄光の紋章』 - ジュリアス -


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