アッサラーム夜想曲

『栄光の紋章』 - ジュリアス -





 ― 『栄光の紋章・四』 ― ジュリアス




 青い軍旗が曇天に翻る。
 ザインは封鎖されており、家という家が窓や扉を閉じて、息を潜めている。街中の通りには、幾つもの検閲が設けられていた。
 しかし、ザインを掌握する三家であっても、アッサラーム軍を止めることはできない。
 先頭を駆けるジュリアスは、西の宗主国たるアッサラームから、遠征に匹敵する権限を与えられているのだ。
 青い軍旗の一行を阻むわけにもいかず、ゴダール家の兵はアッサラーム軍に並走するように、アブダム監獄を目指している。
 監獄へ続く、坂道まであと少し――
 天空から雨が垂れた。
 ぽつぽつと地面を濡らしたかと思えば、瞬く間に牙を向く。つぶてのような雨粒が、叩きつけるように斜めに降ってきた。
 アッサラーム軍、同盟軍の一斉突入を告げる鏑矢かぶらやが、濁った天空に垂直に打ち上げられた。
 けたましい音を響かせて、隅々まで響き渡る。
 遂に、南門でゴダールの外部部隊が起動を見せたということだ。荒天に見舞われ視界は最悪だが、二家の衝突を止めなければならない。
 けぶる視界の向こう、若い兵が血を噴き上げながらくずおれた。
 かつて、アッサラームで起きた内乱のようだ。非情の殺し合いは、歴史ある古都に血の雨を降らせる。
 無益な争いでしかない――馬上から凄惨な光景を眺めて、ジュリアスは心中に呟いた。

「総大将ッ!」

 監獄へ続く大通りを目指すさなか、向かいの通りから隊伍を率いるヤシュムが駆けてきた。
 突出して駆けてくる様子を見てとり、ジュリアスも馬を寄せる。

「ヤシュム!」

「南門に半数を送りました。ゴダールの外部部隊を引き留めています。指揮はデメトリス、こちらは七十余」

「正しい判断です。東は?」

「ユニヴァースに行かせました」

「判りました。光希と連絡が取れません。そちらには?」

 一縷いちるの望みを託して問いかけたが、ヤシュムは眼を瞠るなり、すぐに首を左右に振った。

「きておりませんよ! どういうことです?」

 しとどに濡れた金髪を掻き上げ、ジュリアスは頭痛を堪えるように呻いた。

「革命軍と行動を共にしているらしい」

「まさか、坂の上に!?」

「ありえます」

「防壁前は乱戦ですよ。革命軍は成人したての子供も多い。突っ込むんですか?」

「仕方ありません、正面から行くしかない」

 間髪入れずに応えると、ヤシュムも覚悟を決めたように頷いた。
 俄か造りの防壁へ近付くほど、革命軍とゴダール家の衝突は激化した。
 彼等の鮮血に染まる石畳を、空から落ちる滝のような雨が洗ってゆく。

「突破しますか?」

「いえ」

 武力行使を確認するヤシュムに、ジュリアスは短い否定で応えた。入り乱れたこの坂道を、闘わずして抜け切るつもりだ。

「私の後に続いてください」

 誇り高い黒馬、トゥーリオの首筋を撫でると、主の意図を察したように力強く地面を蹴った。
 前線を見据えて、矢の如く加速してゆく。
 監獄に続く斜面は、左右を石壁に阻まれ迂回はできない。
 その強固な壁を、ジュリアスは逆に利用した。助走をつけて防壁を飛び越えると、ほぼ垂直の壁面を斜めに駆ける!
 曲芸に近い馬術だが、ヤシュムを始めとする麾下きかはジュリアスの後ろに続いた。その恐るべき進軍光景は、火花を散らして剣戟する者の眼をも奪った。

「アッサラーム軍かッ!?」

「壁を走っていやがる」

 壁伝いに乱戦を突っ切っるさなか、怒りにふるえる幾つもの声を聞いた。

「リャンは無事だッ! 罠だ! 上に行けば焼夷しょういされる! 退けぇッ!!」

 積み上げた土嚢の奥から、まだ若い革命軍の兵が必死に叫んでいる。

「貴様らの児戯に付き合っている暇はない! そこを退けぇッ!」

 忠告の声を、ゴダールの指揮官が一蹴する。火がついた闘争心は、礫の雨でも消せはしない。
 進退窮まる坂道を駆けると、唐突に視界が開けた。馬蹄を鳴らして着地すると、視界にアッサラームの青い軍旗が翻った。

「アルスランッ!!」

 道を切り開き、進撃を食い止めているのはアルスランだ。

「上ですッ!」

 彼はジュリアスを見るなり、短く叫んだ。目線で応えると、ジュリアスはすぐに斜面の更に上を目指して馬を走らせた。
 その時、最前線から滲み出てきたゴダールの兵が、監獄に向かって無思慮に走り出した。

「ゴダールがきたぞッ!!」

 有刺鉄線の向こう、監獄の見張塔からドラクヴァ陣営の指揮官が吠えた。石壁に空いた銃眼から、黒牙の鋭い矢が無数に覗いている――
 姿は見えぬが、木立の陰に光希の気配を感じとり、ジュリアスは背筋が冷えた。
 敵意に燃える指揮官は、部下に射撃の合図を送る。鉄扉の前に横たわる、黄土色の油の海に向けて、火矢を放とうとしているのだ。触発すれば、雨をものともせず燃え上がるだろう。

「火矢を放てッ!」

 光希がいるのに……ッ!
 眼も眩むような怒りを覚えた。
 くろがねの刃先に、雫が伝う。
 剣先を空に翳すと、シャイターンは応えるように雷鳴を轟かせた。雷光をまとった黒牙で、監獄の鉄扉に向かって一閃する!
 耳をろうする雷鳴に、周囲は委縮した。衝撃は堅牢な石壁を穿ち、銃眼から覗く連弩れんどごと破壊した。

花嫁ロザインに触れてみろ、我が剣にかけてくれるッ!」

ぇ――ッ!!」

 妨害を知り、指揮官は怯まず、弓隊にジュリアスを照準させた。
 流星雨のように飛来する矢を、ジュリアスは全て弾き飛ばした。無傷で迫る姿を見て、弓隊はおののいたように後じさる。

「仕留めろッ!」

 指揮官は忌々しそうに舌打ちすると、自ら勇ましく大弓を引いた。鉄扉の上から、ジュリアスを照準して矢を放つ。
 放たれた矢を、ジュリアスは騎馬したまま刀身で防いだ。続けて一矢、更に一矢と防ぐ。
 有利な遠射が当たらず、弓を引く指揮官は眼を瞠る。しかし、見事な弓さばきですぐに矢を番えた。
 高所からの、抜群の遠射。
 躱す度に飛距離は縮まり、矢の速さは増す。互いに、次に放たれる一矢は、眼にも止まらぬ速さであると判っていた。
 極限の零の中、視線が交錯した。見覚えのある顔だ。彼はドラクヴァの後継、ガルーシャ・ドラクヴァだった。
 放たれた、眼にも止まらぬ一射――
 そう々たる鋼の響きよ!
 金色の火花が散る。雨を貫く光矢を、ジュリアスは神技の一閃で弾いたのだ!
 黒馬は、有刺鉄線の鉄扉をものともせず跳躍する。その衝撃で見張塔の足場が崩れ、ガルーシャは地面に降りた。

「くるぞッ!」

 ついに、監獄の内側へ着陸したジュリアスを見て、門兵達は恐れ慄き後じさった。
 指揮官――ガルーシャは矢を番えようとするが、遅い。
 黒牙を一閃すれば首を取れる。彼はジュリアスを見上げて、死を覚悟したように口の端を上げた。
 制圧が目的ではない。
 閃かせた刃は、番えた矢を弓ごと破壊し、ガルーシャの首の皮に触れる直前で止まった。

「――お見事」

 ガルーシャは観念したように、両手を上げた。

「ガルーシャ・ドラクヴァ。これ以上の抵抗は、アッサラームへの反逆と見なします。直ちに武装解除してください」

 鋼のような視線でジュリアスが見下ろすと、ガルーシャ・ドラクヴァは上げていた手を肩に当てて、最敬礼で応えた。

「……従いましょう。貴方には、勝てる気がしない」

 ガルーシャの投降により、ドラクヴァの抵抗は鎮まった。
 開かれた鉄扉からヤシュムの部隊が雪崩こみ、武装兵達を手際よく取り締まっていく。

「総大将!」

 威勢の良い声に振り向くと、ユニヴァースが配下を従えて坂を駆け上がってきた。東の鎮圧にあたっていたはずだが、随分と到着が早い。

「ドラクヴァは降伏した! 抵抗する者は捕えよ」

「御意!」

 短い指示に応じて、ユニヴァースは無駄のない動きで監獄に押し入り、ヤシュムの隊と挟撃するように、残兵を取り囲んだ。彼も今では一個隊の将である。
 東西南北から攻め入った将達も、全員が監獄に続く坂下に集結し始めている。混乱は治まりつつあった。

「――ジュリッ!」

 弾かれたように、ジュリアスは振り向いた。
 光希――
 茂みの奥、アージュとエステルの後ろで、薄汚れた男に寄り添うようにして立っている。
 あの男が、リャン・ゴダールか。
 男の背を支える光希と、縋るようにして立っているリャンの姿を見た瞬間に、怒りがこみあげた。




『栄光の紋章』 - ジュリアス -


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