アッサラーム夜想曲

花冠の競竜杯 - 6 -


 翌日。昼休の鐘が鳴ると、光希はアンジェリカにもらった月刊アッサラームの競竜杯特集誌を手に、軍部三階にある将校専用の休憩室を訪れた。
 噴水の傍で、タイルを敷かれた卓にもたれて寛ぐヤシュムとアーヒムを見つけて、光希は傍へ駆け寄った。
「こんには、ヤシュム、アーヒム」
「お、殿下。こんにちは」
 二人の前に、光希は雑誌を広げてみせた。
「見てください、アルスランの特集記事ですよ!」
 二人は興味深そうに視線を落とすと、一面に大きく印刷されたアルスランの絵を見て、笑みを浮かべた。
「本物より男前に描かれているんじゃないか?」
 アーヒムの言葉に、ヤシュムも光希も笑った。
 アルスランは東西大戦で右腕を失って以来、前線から離れていたが、クロガネ隊の協力により、鋼腕を得て復帰を果たした。不屈の獅子と畏敬を集め、競竜杯でも大いに期待されている。
 紙面の中間発表を眺めているヤシュムは、おっ、と目を丸くした。
「すごいな、十五歳の子供もいるぞ。地元の大会では、三度も優勝した経験があるらしい」
 競竜杯の本戦はアッサラームで開催されるが、予選は各地域で行われる。
 予選は総当たり戦で、得点数の最も多い選手が、各地域から選出される仕組みだ。そして予選を勝ち抜いた八人の乗り手が、アッサラームで本戦を競うのである。
 尚、主催地であるアッサラームは、予選を免除されている。
 本戦は一発勝負。アッサラーム外周を翔けて、最後はアール河上空の直線上で競うことになる。
 話しこんでいると、アルスランとジャファールもやってきた。
「見てください! アルスランのことが記事になっていますよ」
 光希が記事を指さすと、二人は紙面に目を落とした。それを見て、アルスランは照れの入りまじった、引きつったような笑みを浮かべた。
「自分のことが書かれている記事を人に読まれるというのは、気まずいものですね」
 光希はにっこりした。
「いい記事ですよ。絵も綺麗だし、優勝最有力候補って見出しで紹介されていますよ!」
「そうでしょうか……なんだって、こんなに大きく描く必要があるんだ」
 憮然と腕を組むアルスランを、ジャファールはからかう目で見ている。
「すっかり有名人だな、アルスラン。俺は楽しいぞ」
「嬉しい、じゃなくて楽しいんだな?」
 その場にいた全員が笑った。ヤシュムが絵の中のアルスランを真似て、右腕を見せつけるように敬礼の姿勢で決め顔をすると、笑いは更に大きくなった。愉快な哄笑こうしょうが空を仰ぐ広間に朗々と響き渡る。
 笑いの渦に惹かれるようにして、ジュリアスとナディアもやってきた。
「皆で集まって、楽しそうですね」
 約束通りにきてくれたジュリアスを見て、光希は顔を輝かせた。
「きてくれたんだ」
 満面の笑みを浮かべる光希を見て、ジュリアスは柔らかくほほえんだ。
「これを見てよ」
 光希が情報誌を指さすと、ジュリアスとナディアは視線を落とし、二人してアルスランの顔を見た。
「すっかり有名人ですね。公式賭博の投票券が発売されたら、アルスランの一位予想で買いますよ」
 ナディアが笑いながらいうと、俺もだ、とヤシュムが間髪入れずにいった。
「一番人気ですから、アルスランの賭け率は殆ど零に近いのでしょうけれどね」
 ジュリアスのいう通り、一位から三位を当てる投票券は別だが、一位予想のみの投票券でアルスランを当てたとしても、利潤はほぼ零に近い。
 ふと、ナディアと目が合った。彼をじっと見つめていたことに気がついて、光希は慌てて目を瞬いた。
「でも、いい記念になるよね。僕ももちろん、アルスランを買うよ!」
 光希が笑顔でいうと、ジャファールがアルスランの背中をばしっと叩いた。続いて遠慮せずにヤシュムが叩き、アーヒムが叩き――アルスランは咳きこんでいる――控えめにナディアが叩いて、ジュリアスは普通に叩いた。
「いじめは良くない」
 やや苦しげに呼吸を整えているアルスランの背中を、光希は優しく摩った。
「……俺の勝利は、殿下に捧げます」
 呻くような呟きに、全員が笑った。
 和気藹々わきあいあいと喋っている将軍達を、周囲の将校は戦々恐々、興味津々といった風に、離れたところから眺めている。
 特にジュリアスがほほえみ、笑声すら零す姿は貴重だった。普段は冷厳としている砂漠の英雄は、光希の前にいる時だけ珍しい面を見せるのだ。
 光希は、錚々そうそうたる顔ぶれを見回して、一人足りないと感じた。
「……ユニヴァースは元気にしているかなぁ」
 彼は今、アッサラームを離れている。
 評議会で決定した高級遊戯場の誘致先の一つ、アッサラームの南にある都市ツァイリに派遣されているのだ。
 利権を巡る建設事業者間の争いが、部族間の競争にまで発展した為、仲裁をする為にアッサラームから巡視隊が派遣された次第である。その指揮官に、ユニヴァースが抜擢されたのだ。
 現在、争いは沈静化しているが、ユニヴァースはまだ帰ってこない。彼の方から任期延長を申請したらしい。
「あいつにぴったりの任務だよな。遊戯場が完成するまで居座る気じゃないか?」
「そうなんですか?」
 光希を見て、ヤシュムはもっともらしく頷いた。
「賭博に耽って永久に帰ってこないかもな」
 彼の言葉にアーヒムも頷いている。永く会えなくなるのかと思うと、光希の胸に侘しさがこみあげた。
「……そうなのかな。ユニヴァースは戻ってくる気がないのかな?」
 ジュリアスを見て訊ねると、彼は至極どうでも良さそうに肩をすくめてみせた。
「どうでしょうね」
「ジュリはいいの? ユニヴァースが戻ってきてくれなくても」
 その微妙な問いかけに、ふと沈黙が流れた。
「……俺は今、人が地雷を踏んでいく光景を目の当たりにしているぞ」
 ヤシュムがぼそっと呟くと、黙っておけ、とアーヒムが低い声でいった。
 ジュリアスとしては一向に構わなかった。どちらかといえば、せいせいするかもしれない。その通りに答えてみようか逡巡するが、気まずそうにしている光希の顔を見て表情を和らげた。
「心配しなくても、戻ってくると思いますよ。彼にとってもアッサラームは……刺激的でしょうから」
 貴方がいるのだから――本当はそういいたいところを、ジュリアスは自制した。
 光希は小さく頷いた。その後ろで、ヤシュム達は安堵したように肩から力を抜いている。
「競竜杯までに戻ってこれるといいけど」
「意地でも戻ってくると思いますよ。彼が見逃すとは思えません」
「そうだといいな……よし、この特集誌を送ってあげよう!」
「いや、送らなくていいです」
 横からアルスランが口を挟む。光希は目をきらりと輝かせた。
「いい記事ですよ。これを読めば、きっと競竜杯が楽しみになると思う」
「いや、どうでしょうね」
 口元をひきつらせてアルスランは言葉を濁したが、光希の瞳の輝きは増した。
「絶対ですよ。あとで送ってあげよう」
「殿下、それは私にくださいませんか? 彼は雑誌より、殿下の便りの方が遥かに嬉しいと思いますよ」
「そうですか?」
「間違いありません」
 光希は思案する顔つきになった。ジュリアスが目を細めたことには気がついていない。
「……俺はまたしても、人が地雷を踏んでいく光景を目の当たりにしているぞ」
 ヤシュムが呟くと、今度はアーヒムも何もいわなかった。ジュリアスは美しい笑みを光希に向けた。
「光希、私から彼宛に十冊ほど送っておきますよ」
「いいの? じゃあ、お願い」
 光希は笑顔のまま、アルスランを見た。
「これはアルスランにあげます。はい、どうぞ!」
「……ありがとうございます」
 引きつった顔で雑誌を受け取り、アルスランは卓に顔面から突っ伏した。拡散されていく……くぐもった声で呻いている。
 ジャファールは同情するように彼の肩を叩いたが、他の面々、特にヤシュムは楽しそうに笑い飛ばした。
 和やかな空気に、光希は肩の力を抜いて、ほくほくとした笑みを浮かべた。
「なんだか、本当に楽しみになってきたなぁ。あとは一般席から観れたら最高なんだけど」
 後半を少し残念そうにいう光希の髪を、ジュリアスは優しく撫でた。
「主賓席は一番の特等席ですよ。視界を遮るものは何もありませんし、最後の直線勝負を眼前で観戦できますよ」
 ジュリアスの慰めに、きっとそうだね、光希は素直に頷いた。二人は主賓席から見学することに決まっている。それはそれで楽しみなのだが、一般席で観戦できないことを少しばかり残念に思った。




花冠の競竜杯 - 6 -


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