アッサラーム夜想曲

花冠の競竜杯 - 35 -


 水門前。吐息のように立ち昇る靄の中を、明りを消した不穏な船が一隻、人目を忍ぶようにして暗がりを進んでくる。
 星を映した水面を揺らし、水軍の兵士に劣らぬ手際で船を操っているのは、ジャプトアの用心棒だ。錨を下ろして桟橋に着けると、黒い外套を羽織った凶手達が、船縁ふなべりから音もなく飛び降りた。全身に妖気を立ち昇らせ、ゆらり忍び歩く姿は食屍鬼しょくしきのように不気味である。
 男達の後ろから、白豹しろてんの外套を羽織った男が一人、梯子を伝って下りてくる。緋色の袴をたくしあげ、金鍍金きんめっきを施した革靴に裾をたくしこみ、幅広の腰帯に、鮫鞘さめざや偃月刀えんげっとうを吊るしている。
 ジャプトアだ。
 猜疑心さいぎしんの強い男で、アッサラームへきた当初は、影武者を立て、自分はその従者、マシャーロと名乗っていた。 
 あしの茂みに兵を伏して待ち構えていたジュリアスは、味方に合図をして立ち上がった。
「捕えよ!」
 号令を受けて、味方は一斉に桟橋前に群がり、一行の行く手を阻んだ。
「止まりなさい、ジャプトア・イヴォー」
 ジャプトアはジュリアスを見て目を瞠ったが、すぐに感心した顔つきになり、よくぞ見つけたといわんばかりに手を鳴らした。
「これはこれは……我らが西世界の英雄ではありませんか」
 ジャプトアは怯んだ様子もなく、落ち着き払った声で答えた。
「夜陰に紛れて、どこへ逃げるつもりですか?」
「逃げるとは人聞きの悪い。私は夜の探訪をしているだけですよ。アッサラームには、夜の愉しみを提供してくれる店が幾らでもありますから」
「それは諦めてください。金輪際、自由を謳歌することはできませんよ」
 ジャプトアは芝居がかった仕草で、首を傾げてみせた。
「おやおや、理由を聞かせてもらえますか?」
「いうまでもないと思いますが、協定条約を破った罪により、制裁を下しにきました」
「何の話です? 協定を破った覚えはありませんが」
「ハーラン・クモンと手を組み、複数都市にまたがる賭博と恐喝の共謀容疑です。これだけでも厳罰対象ですが、私の花嫁ロザインに危害を及ぼした罪は、どう足掻いてもいい逃れできませんよ」
「殿下に危害を? 何かの間違いでしょう。私がやったという証拠はあるのですか?」
 ジャプトア・イヴォーは不平を訴えるように肩をすくめ、両手を広げてみせた。
「騎手の買収、ポルカ・ラセへの妨害には証人がいます。今夜強襲を仕掛けてきた男も、お前の名前を口にしましたよ」
「ならば、法の下で明らかにしましょう。こんな誰も見ていない所で揉めたって、一銭の得にもなりませんよ」
「今この場では、私が法です。私にはお前を裁く権利がある――よく聞きなさい、ジャプトア・イヴォー。アッサラームにおける営業許可証の剥奪、アッサラームとの交易停止、金貨十万枚の支払いを命じます」
 ジャプトア・イヴォーは絶句した。数秒をおいて、訝しむように口を開いた。
「……十万枚?」
「そうです」
「馬鹿な。小国の年間予算を凌ぐ金額ですよ」
「ええ」
「そんなもの、ヘイヴン・ジョーカーに支払わせればいいでしょう! あの男こそが諸悪だ」
「彼は被害者です。クシャラナムン財団に対して、営業妨害、名誉毀損で訴えています。先の支払い金には、ポルカ・ラセへの弁償金は含まれていませんので、お忘れなく」
 ジャプトアは腕を組み嘲弄を口に刻むと、居丈高にジュリアスを睥睨へいげいした。
「勘違いをされているようだが、私は貴方の敵ではありませんよ。アッサラームに巨利をもたらせる立場にあることを、ご理解いただけているのでしょうか?」
「勘違いしているのは、そちらでしょう。条件を呑むのなら和解に応じますが、いかがいたしますか?」
「私が支払うとでも?」
「承服できないというのなら、アッサラームへの反逆とみなし、武力行使に切り替えます」
「おやまぁ……私もアッサラームの臣民であることをお忘れではありませんか?」
 ジュリアスは氷の眼差しで睥睨すると、サーベルを鞘から抜いて、剣尖を男に突きつけた。
「盗賊風情が臣民を語るな。アッサラームは西の中枢、権威の象徴、お前達の薄汚い手で汚せるような領域ではない」
 ジャプトア・イヴォーは口元に嘲弄を溜めて、ジュリアスを見つめた。
「聖都の威信など、巨利と秤にかけるまでもないでしょう」
「もう一度だけ聞きます。条件を呑むのなら和解に応じますが、どうしますか?」
「貴方はもっと、話の分かる相手と思っていましたよ」
 広刃ひろはの剣を抜くと、ジャプトア・イヴォーは獰猛な笑みを浮かべた。
「英雄が聞いて呆れる、損得勘定もできぬ若造が……全員殺せ」
 男の指示に、凶手達は偃月刀を抜いた。
 ジュリアスは冷淡な瞳で男を見据えたまま、光希の名の刻まれた刀身に儀礼的な口づけをした。
「殲滅せよ」
 その一言が合図となり、アッサラームの獅子達は裂帛れっぱくの気合いと共に、黒牙を閃かせた。
 しかし、踊りかかった幾人かは、斬りかかる前に短い苦悶を叫んで地に伏した。褐色の肌は忽ち毒々しい黄土と紫の入り混じった色に変わる。
「――毒針です!」
 葦の茂みに伏す凶手を見て、ジュリアスは警告を叫んだ。蒼い稲妻を刀身に下ろし、辺りを薙ぎ払う。
「うぐッ」
 直撃を受けた敵は、遥か後方に吹き飛ばされ、幹や硬い遮蔽物にしたたかに身体を打ちつけた。
 機を逃さず、崩れた陣形に味方が斬りこむ。だが、暗器を使わずともジャプトアの凶手は強かった。ジュリアスの麾下きかを相手に、互角に渡り合ってみせる。
 首級のジャプトアも然り。彼は財団の幹部にありながら、偃月刀の達人だった。驚くほど敏捷な動きで相手を翻弄している。二人を斬り結び、猛った瞳でジュリアスを睨みつけた。
「騎兵の剣はお上品すぎる!」
 彼は兵士の腹を突きながら、酷薄な笑みで咆えた。
「なら、私はどうですか」
 ジュリアスが正面に立つと、ジャプトアは目を細めた。
「ザルーンッ!!」
 彼が叫ぶと、血痕のついた戦斧せんぷを両手に持つ、大男が立ち塞がった。覆面の内側から、獣のように荒い息をついている。
 並の男なら怯むところだが、ジュリアスは違った。電光石火の一閃で、突き出したこん棒のような腕を切りつける。が、男は痛覚が麻痺しているのか、全く躊躇せずにいわおのように立ちはだかった。
 応対を余儀なくされるジュリアスを見て、巨人の後しろからジャプトアは低い声で笑った。
「この男は、私が仕込んだ手練れの凶手だ。貴方の知る上品な闘いとは違うだろうよ――殺せ、ザルーン!」
 主の命令を受けて、人間離れした巨人は咆えた。
 鋼と鋼が激突し、火花を散らす。ジュリアスの背中を狙って、新手が三人飛びこんでくる。胴体を左に捻って攻撃を紙一重に躱す。その際どさに、ジャプトアは歓声をあげた。
「いいぞ! シャイターンを仕留めた奴にたっぷりと褒美をくれてやるッ」
 迫る刃を、ジュリアスは舞踏のような身のこなしで避ける。後ろ手で光希から受け取った枷を探ると、腰を落として敵の死角を狙う。敵の一人に狙いを定め、間合いに飛びこみ、枷をそいつの腰紐に連結し、もう片方の輪をザルーンの腰紐に繋いだ。
「がぁッ」
 動きを封じられ、敵は叫んだ。足をもつれさせ、枷で連結された敵は無様に転んだ。
「ぎゃあッ」
 巨体の下敷きになった男は、身動きが取れずに泡を吹いている。
(これは使える)
 感心しながら、ジュリアスはザルーンの開いた腹に刃を突き立てた。
「うぐうぅぅッ!!」
 苦痛の咆哮が響き渡る。しかし、急所を刺しても絶命しないとは、この男の身体はどうなっているのだろう? 一度刃を抜くと、身を屈めて、思い切り咽に突き立てた。
 ザルーンは全身を烈しく痙攣させ、武器を手放した。滝のように溢れでる鮮血は、ジュリアスの顔にまで流れ落ちた。刃を抜くと、巨躯はごぼごぼと喉をつまらせながらくずおれ、大地に倒れこんだ。
 ジュリアスは突き刺した剣を抜き、血に濡れた剣尖をジャプトアに向けた。
「お気に入りの凶手を、よくも無駄にしてくれたな」
 余裕の剥がれ落ちた憤怒の表情で、ジャプトアは脅すようにいった。
「盗賊の首領なら、人に戦わせずに自分で剣を抜いたらどうですか?」
「ふん……後悔するのはそっちだぞ」
 ジャプトアは低い体勢で剣を構えると、息を吸いこみ、大きくジュリアスの間合いへと踏みこんだ。
 忽ち剣戟の押収となり、朱金の火花が飛び散る。
 剣と剣を戦わせながら、ジャプトアは驚愕に襲われていた。広刃の太刀を、ジュリアスは細見の剣でさばききる。偃月刀に比べれば遥かに刀身が短いのに、届かない。
(なんて腕をしていやがる!)
 少しずつ押されはじめ、やがて岸辺に追い詰められた。だが、茂みに伏した兵の動きを見て、内心でほくそ笑む。
 とどめをささんと、ジュリアスは距離を詰め――死角から巧妙に隠した殺気を察知し、咄嗟に飛びのいた。
 地面が光った。月明かりを反射して、きらりと光る細い針、毒針だ。
「……ほーぅ、さすがはシャイターンの異名を持つだけはある。背後の吹き矢を躱すとは恐れいったぞ」
 卑怯な! 叫んだ味方が身を挺してジュリアスの背を庇おうとした。
「下がりなさいッ!」
 一喝した時には、味方の首に針が刺さっていた。勇ましい顔から生気が失せ、黒く変色していく。がくりと膝をついて、そのまま大地に伏した。
「黒蠍の毒か」
 ジュリアスの問いに、ジャプトアは口角をあげた。
「私の調合した猛毒だ。吹き矢は剣より速いぞ」
 ジャプトアは脅すように筒を口元に構えたが、ジュリアスは躊躇しなかった。危険を察知し、ジャプトアは間合いに飛びこまれる前に、矢を射った。腕に命中し、勝利を確信して口角をもちあげる。
 が、ジュリアスは膝を折ることなく、鋭い一閃を放った。ジャプトアは不意打ちを食らい、大腿に深く刃が突き刺さった。苦痛の呻き声をあげ、膝を折ったのは彼の方だった。
「ぐ、馬鹿なッ、なぜ毒が効かない!?」
「私に毒は通用しません」
 創造主の与え給う恩恵の一つだ。くろがねをおいて他に、ジュリアスを傷つけるものはない。
 超常を目の当たりにして、ジャプトアの背筋に悪寒が走った。ジュリアスに相対して初めて感じる、畏怖である。
(毒が効かないだと? 黒蠍の猛毒だぞ! 無敵かこの男は!?)
 数分のうちに死に至らしめる即効性の猛毒は、身体を紫から黒へと変容させ、腐敗していく己の肉体の匂いを嗅げるほどの威力を秘めているはずだった。
 だが、砂漠の覇者は確固たる足取りでやってくる。睥睨する氷の眼差しに慈悲は欠片もない。
「命が惜しければ、剣を取りなさい。そうでなければ、今ここで斬り捨てますよ」
「くっ」
 ジャプトアは剣を再び構えるが、恐ろしく切れ味の良い刃が、ジャプトアの手足を嬲るように少しずつ斬り刻んでいく。
「うぐぅッ」
 鋭い痛みに、苦痛の呻きを漏らす。偃月刀を振りかぶって反撃を試みるが、ジュリアスは身を縮めてかわし、ジャプトアの身体を支えている右脚を払った。
「ぐぁッ」
 平衡を乱したジャプトアは、身体を捻って転倒を避ける。その隙を逃さず、ジュリアスは開いた腹に回し蹴りを決めた。
 ジャプトアの巨躯が後方へ吹き飛んだ。背中をしたたかに打ちつけ、苦痛の呻き声を漏らす。
(殺される)
 総毛立つほどの恐怖に襲われ、ジャプトアはジュリアスの接近を拒むように右手を突き出した。
「待て! 溢れるほどの大金が欲しくはないか? 欲しい金額をいえ。いくらでも融資してやるぞ」
「金貨十万枚を支払うと?」
 ジャプトアは唸り声をあげた。
「違う! 貴様に支払う額をいえといっているのだ!」
「どんな返答にせよ、興味はありません」
 ジュリアスは冷徹に警告の一言を発した。最初から交渉に応じる気など、微塵もなかったのだ。青褪めた顔の男を見て、更に続ける。
「お前の犯したこれまでの悪事を思えば、殺した方がアッサラームの利益になると思いませんか?」
「ぐ、判った! 金貨十万枚を払う!」
「いったでしょう。興味はないと。光希に手をだしたこと、地獄のてで悔やむがいい」
「待て待てッ! 私を殺せば財団が黙っていないぞ。アッサラームを悪の巣窟にしてもいいのか?」
「戯言は結構。せめて、跪いて祈りなさい。その薄汚れた魂が昇華できるように」
 ジュリアスは剣尖をジャプトアに向けた。ジャプトアは地響きのようなうなり声をあげた。血走った目で短剣を抜くや、烈しく叫びたてた。
「シャイターンッ!」
 怒声を張りあげ、短剣を振りかぶる。激情にまかせて揮う刃から彼自身の血の滴が流れ落ちる。
(俺を殺せると思うな!)
 構えた短剣の尖端から毒針が飛び出した。だがジュリアスは、青い炎で針を溶かした。人智を越えた御業である。
 その瞬間、ジャプトアには時が止まったように感じられた。
 黒牙が月光に煌いて、ジャプトアの顔をる。必殺の一撃を避けれなけば――頭では判っているのに、反応が追いつかない。
 立ち尽くすジャプトアの眉間を、青い光輝をまとった刃が貫いた。痛みもなく、ただくろがねの冷たさだけが感じられた。
 それが彼の最期だった。
 土気色の唇から血の泡を吹き、かすかな呻きを漏らしていたが、最後には身を強張らせ、静かに横たわった。




花冠の競竜杯 - 35 -


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