アッサラーム夜想曲

花冠の競竜杯 - 15 -


 光希はアーナトラを紹介されて、いたく創造の刺激を受けたようだった。アーナトラと話したくてうずうずしている様子を見て、ジュリアスは暫しの歓談の時間を設けることにした。
 人払いされた歓談室まで光希を送り届けたジュリアスは、思い立ったように、扉を開けて光希と共に中へ入った。
「どうしたの?」
 光希は不思議そうにしている。
「いえ……」
 ジュリアスは素早く部屋を見回した。卓に置かれた酒瓶に目を留めると、ローゼンアージュに警告の目配せを送る。人形めいた容姿の青年は、真剣な瞳をしてこくりと頷いた。
(光希から目を離さないように。酒も飲ませすぎないように)
 無言で交わされる会話を読み取り、光希は苦笑いを浮かべた。
「心配しなくても、煙草も酒も遠慮しておくよ」
 やりとりを、ヘイヴンは興味深そうに見ている。ジュリアスは警戒の眼差しをヘイヴンに向けた。そこにこめられた意図を察知し、ローゼンアージュはこくりと頷く。
「心配しないでも、ここで待っているってば」
「部屋からでないでくださいね。あとで迎えにいきます」
「了解」
 機嫌よく返事する光希を見て、ジュリアスは案じる顔つきになった。
「やっぱり、私も傍にいましょうか?」
「平気だよ。ヘイヴンさんに経営台帳を見せてもらうことにしたんでしょ? 僕はここにいるから、ジュリは遠慮せずにいってきて」
 光希がジュリアスの腕を軽く叩くと、彼は不服そうな顔をしながらも頷いた。後日改めて出向くよりも、この場で要件を片付けてしまった方が効率はいい。
「何かあれば、すぐに私を呼んでください」
「了解」
 ジュリアスは光希を案じる言葉をかけると同時に、命令も幾つかして、あれこれと念押しをした。彼が満足し終えるまで、光希は何度も相槌を打たねばならなかった。
 ようやく扉がしめられると、アーナトラは好ましい者を見る眼差しを光希に向けた。
「シャイターンは殿下のことを、とても大切に想っているのですね」
「いやぁ……」
 照れくさげに頭を掻く光希を見て、アーナトラは笑った。
「とても仲睦まじいご様子でしたよ。お二人を見ていると、思わず笑みを誘われてしまいます」
「ありがとうございます。アーナトラさんの造ってくださった素敵なお邸のおかげで、僕もジュリも快適な毎日を送っていますよ」
 心からの感謝を口にすると、アーナトラは嬉しそうに破顔した。 
 話し始めると、二人はすぐに意気投合し、会話に花を咲かせた。
 アーナトラの話術は巧みだった。
 彼の建築への熱意、稀有な体験談の数々は、聞いているだけでわくわくしてくる。まるで、未知の世界に引きこまれていくようだった。
 彼は、下積み時代の話や独り立ちをする過程、手掛けてきた興味深い作品の数々について、身振り手振りをまじえて光希に共有してくれた。光希は頬杖をついて聞きいりながら、魅惑的な物語や風景を夢想した。
 この時点で光希はもう、遊戯卓の装飾をしたくてたまらない気持ちになっていた。
 アッサラームで一番の高級遊戯社交場、ポルカ・ラセの玄関広間の改装に携われるのである。大変な名誉だ。それも才覚のある芸術家と一緒に仕事できるのだと思うと、期待で胸が膨らむのを止められそうになかった。

 光希が歓談を愉しんでいる頃、ジュリアスはヘイヴンの執務室で革張りの肘掛け椅子に座り、ポルカ・ラセの設計図を眺めていた。
 高級家具で調え調えられた部屋は、仄かな麝香の匂いが漂っている。彼の趣味なのだろう。青磁や硝子の置時計、剥製の梟といった骨董品がずらりと並んでいる。
「今年の台帳はこちらです」
 ヘイヴンは硝子天板の上に、十数冊もの台帳を置いた。
「ありがとうございます」
 端はきちんと綴じられており、文字は整然としている。掛け率や利益率、それらの統計といった詳細の数字も全て計算が合っている。この帳簿を見るだけでも、彼の有能さを窺い知れる。
 大金を獲得した客には確実、且つ安全に支払い、逆に客側の支払いが遅れても待っている。そして客が大損をして人生を不意にする前に、救済措置も心掛けているようだ。
 数字の改竄かいざんも、賭博収益のごまかしもない。支払いの衛生面も優れている。
 この遊戯場が大勢の常連客を抱えていられる所以の一つだろう。
 台帳の束を検分し終えて、ジュリアスは顔をあげた。見守っていたヘイヴンと目が合う。
「前年度の台帳も見せていただけますか?」
 ヘイヴンは目を丸くした。
「もう読まれたのですか?」
「正確な内容で助かります。売上も上々、貸しつけ金、現金支出にも問題ないようですね」
「驚きました、恐ろしく計算が早いのですね」
「数字に間違いがありませんでしたから。よく、管理していますね」
「私は数字が苦手で、有能な従業員のおかげで切り盛りできているんですよ」
 彼は謙遜してみせたが、台帳の中身を熟知していることは確かだ。事実、ジュリアスの穿った幾つかの質問にも、彼は迷わず即答してみせた。
 売上について意見を交わしていると、控えめなノックの音に中断された。ヘイヴンは懐中時計を見てから、ジュリアスを見た。
「定時の業務連絡です。少し時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
 入ってきた執事は、ジュリアスを見て慌てることもなく、丁寧にお辞儀をした。小さな紙をヘイヴンに握らせる。中を検めたヘイヴンの顔から、一瞬、余裕の表情が剥がれ落ちた。
 その様子を注意深く観察していたジュリアスは、さりげなく切り出した。
「問題が起きているようなら、私に構わず、そちらの対応を優先してください」
 ヘイヴンは紙を畳んで上着の内側にしまうと、姿勢を正した。
「いいえ、部下が十分に対応してくれています。私の今夜の使命は、特別なお客様のおもてなしをさせていただくことです」
 ジュリアスは軽く頷いた。
「では、もう少し見させてもらいますよ」
 帳簿に視線を落とし、中を検めながら、神眼で建物内の様子を探る。
 卓の端の酔っ払いが、怒り心頭の様子でヘイヴンの名を連呼している。別の卓では客が盛大にチップをばらまけていたり、ご婦人が夫の浮気を責めて愁嘆場を演じている。
 今夜は珍客万来、あの手この手で賭博場を負かそうとしているらしい。だが、従業員は教育が行き届いており、冷静に対応している。
(日常茶飯事にしても多過ぎる。営業妨害を受けているのかもしれないな)
 この賭博場は、競竜杯の公式賭博権を独占して、他所の妬みを買っているのだ。
 思い耽っていると、光希の強烈な怯えを感じとり、ジュリアスは息が止まりかけた。
(――光希?)
 唐突に席を立ち、部屋を飛び出していくジュリアスの後ろを、ヘイヴンは慌てて追い駆けた。
「閣下? どちらへ!?」
 ジュリアスは呼び止める声を無視した。
 急いで歓談室に入ると、部屋の隅に光希はいた。アーナトラに肩を支えられ、蒼ざめた顔で立ち尽くしている。
 肘掛け椅子の傍では、短剣を手にしたローゼンアージュが片膝をついている。腕の長さほどもある黒蠍を仕留めたらしい。
 状況をざっと把握すると、ジュリアスは光希の傍に駆け寄った。全身に素早く視線を走らせる。
「怪我はありませんか?」
「うん、平気」
「噛まれていませんね?」
「うん」
 差し迫った危険がないことを確認して、ジュリアスは緊張を緩めた。死んでいる黒蠍を見て、眉を顰める。
「どこから入ってきたか判りますか?」
 ローゼンアージュは表情を変えずに、かぶりを振った。彼の代わりに、アーナトラが口を開いた。
「最初から、この部屋にいたのかもしれません。椅子の下から突然這い出てきたのです」
 砂漠に生息する猛毒を持つ種だ。人の多い場所に出現することは極めて稀である。
「なんてことだ……」
 やってきたヘイヴンは、部屋の状況を見て顔をしかめた。 
 ジュリアスは、細かく震えている光希を抱きしめた。彼の方も、強い力でしがみついてきた。
「今夜は帰ります。これ以上、この遊戯場の名誉にかかわる問題が起きないよう、点検を徹底してください」
 ジュリアスの一瞥に、ヘイヴンは強張った表情で頷いた。
「このような騒ぎになり、お詫びのしようもございません。すぐに警備を検めます」
「軍の巡邏隊にも連絡を入れます。営業妨害の線で、不審者を洗い出してください」
「かしこまりました」
 先ほどの出来事がよほど怖かったらしく、光希は足元を警戒して歩いている。主の怯えを感じ取り、ローゼンアージュも見えぬ敵を威嚇するようにぴりぴりしている。
「大丈夫ですよ」
 優しく声をかけるジュリアスを、光希は不安そうな顔で仰いだ。
「……さっきの見た? 大きすぎじゃない? なんだってこんな所にいたんだろう」
「自然に紛れこんだとは考えにくいですね」
「美味しい料理に惹かれたのかな? それともお目当ては葡萄酒かな?」
 ジュリアスは少し笑った。光希も一緒に笑おうとしたが、恐怖の遭遇から立ち直れず、少々引きつった笑みになった。
「はぁ……夢に出てきそうだ」
「その時は、私が追い払ってあげます」
「そうしてくれる?」
「大丈夫ですよ。私が傍にいる限り、絶対に黒蠍を傍に寄せつけません」
 ぎゅっと肩を抱き寄せられると、光希は自分が狼狽えすぎていると思い、恥じいるように頭を掻いた。
「うん……国門にいた時は、蛇も虫もよく目にしていたんだけど、久しぶりでちょっと驚いたんだよ」
 弁明する光希の髪に、ジュリアスは柔らかく唇を押し当てた。ごにょごにょと呟いている顔を覗きこむと、彼は顔を赤らめ、何もいわなくなった。
 遊戯場を出ると、正面に馬車が停まっていた。御者台にはルスタムが座っている。
 立ち去ろうとしている二人を見て、ヘイヴンは心底残念そうに頭を下げた。
「せっかくお越しいただいたのに、ご不快な思いをさせて、誠に申し訳ありませんでした」
「そんなことありません。とても楽しかったです」
 光希は穏やかな声音で答えたが、ジュリアスは鋼のように鋭い視線を投げた。冷厳な声で続ける。
「私達の来訪が、どれほど重要であるか説明するまでもありませんね。今のままでは、私は大切な花嫁ロザインを連れてくることはできませんよ」
 その言葉は、ヘイヴンとその後ろに控える従業員達の顔を強張らせるには十分だった。
「返す言葉もございません。肝に命じ、一から点検を見直します」
 若き支配人が神妙な顔で頭をさげると、たっぷり十秒、威圧感をこめてジュリアスは彼を睥睨へいげいした。
 従業員達の前で、深々と頭をさげているヘイヴンの姿を見て、光希は気の毒に思った。どれほどの忸怩じくじたる思いを噛みしめていることか。
「……遊戯卓の件、前向きに検討させてください。もし、ポルカ・ラセに置くことができたら、僕はとても光栄に感じるでしょう」
 声は小さかったが、誠実さに満ちていた。控えめな笑みを浮かべる光希を、ヘイヴンは嘘偽りない感謝の目で見つめた。
「こちらこそ光栄です。その日が一日も早く実現するように、全身全霊をかけて取り組みます」
 ほほえみ合う二人の間で、何かが共鳴した。思い遣りだろうか? 或いは応援の意思かもしれない。
 ジュリアスは目を細めると、ヘイヴンを釘を刺すように見据えた。
「水を差すようですが、まだ受注すると決めたわけではありませんよ」
「ジュリ」
 不満そうな抗議の声を、ジュリアスは無視して続ける。
「先の言葉を忘れないでください。私もアースレイヤ皇太子も、この遊戯社交場には期待しているのです」
 ヘイヴンは決意の光を瞳に灯すと、挑むようにジュリアスを見つめた。
「ありがとうございます。後悔はさせません。必ず期待に応えてみせます」
 二人が見えなくなるまで、ヘイヴンは頭を下げ続けた。
 ゆっくり体を起こすと、今夜の大失態を呪いたくなった。大きな営業損失を被った上に、大変な有権者の信用を失ってしまったのだ。
 今夜は十分に警備の目を光らせておいた。
 その無数の目をかいくぐって、今日という日に嫌がらせを仕掛けてきたクシャラナムン財団に、鉄槌をくだしてやりたい。
 今この瞬間、怒りを目に灯した青年に、頽廃的な雰囲気は微塵も感じられなかった。彼は蒼氷色そうひいろの瞳に報復の焔を宿し、ポルカ・ラセの扉を開いた。




花冠の競竜杯 - 15 -


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