超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

4章:新人類 - 6 -

 扉を抜けた先にまた扉があり、顔の位置にあるパネルが上下に開く。野上は声帯認証を行い、さらに赤い光線が上下に動いて、顔認証が作動するのに任せた。
 ピッ。扉のロックが解除される音と共に、緑色のランプが点灯する。
 制御室と思わしき部屋に、野上はレオと広海を案内した。
「大丈夫かい?」
 振り向いた野上を見て、広海は驚いた。
 顔を盛大に殴られたらしく、頬は朱く腫れあがり、罅割れた眼鏡はテープで止めてある。
 思わず広海は、レオの腕から飛び降りるようにして、野上に駆け寄った。
「何があったんですか!?」
 今まで赤い警報灯に染められて気づかなかったが、こうして冷光灯のもとで見ると、満身創痍ではないか。特に腕は重症で、巻いた包帯に血が滲んでいる。
免疫摂取・・・・による半覚醒に陥った谷山君を、拘束したんだ。すると彼は、その場にいた研究員と兵士を全員殺して逃走した」
「免疫摂取?」
 レオが眉をひそめると、野上はつけ加えた。
「済まない、広海君に近づけてしまった僕のミスだ。感染区域を解き放ったのも彼だ。全館封鎖されて、掃討システムが作動している」
「バイオ・ハザードかよ」
 レオの言葉に、野上は疲れたような顔で頷いた。
「まさにその通りの台詞を、口にしていたそうだよ。ただでさえ危険な精神病質者サイコパスが、心身共に上限改変されて、非常に攻撃的になっている。恐らくまだ館内に潜伏しているから、くれぐれも気をつけてくれ」
「谷山さん、なんでそんな……」
 広海は額を手で押さえた。
「いいかい、非常事態で出入り口は封鎖されている。今からニ十分後に三十秒だけ地下三階の駐車場に通じている扉が開くから、そこから逃げるんだ」
「なんで俺たちを助ける」
 レオは訝しんだ。
「自分のやっていることに嫌気がさしたからだよ」
 野上は自嘲の笑みを浮かべた。
「言い訳にしか聴こえないかもしれないが、僕は本当に、治療がしたかったんだ。戦略兵器の生産なんて冗談じゃない」
 野上は強い口調でいった。レオは睨みつけて、
「嘘つけ、絶対知ってたろ。だからロミを捕まえたんだろ?」
「疑われても仕方がないけど……広海君に対する実験の全容については、昨日まで、本当に僕の預かり知らぬ事だったんだ」
 野上は気弱げにいった。広海は後押しするようにつけ加えた。
「判っています……野上さんは助けてくれましたから」
「済まない、広海君。君には本当に酷いことをしてしまった。お詫びってわけじゃないけど、伝えておきたいことがあるんだ」
 時間がないからよく聞いて、と野上は説明を始めた。
「世界同時感染により、世界人口の九〇%が感染し、その殆どが即死した。残り一〇%が生存者だと世間には公表されているけど、実は第三の勢力がある。いや、あったというべきかな」
 広海とレオは顔をみあわせた。
「ごく少数の、広海君のような免疫者が誕生したんだ。彼等は、感染者に襲われることなく、忠実な召使のように支配することもできる」
「そうなんですか!?」
 思わず広海は頓狂な声をあげた。
「知らなかったのかい? ……レオ君の方は、知っていたんじゃないか?」
 広海は驚いてレオを見た。レオは、冷然と野上を睨んでいる。
「群れていいことなんかねぇよ。俺は、ロミと二人でいれたら、それでいい」
 野上は頷いた。
「……うん、そうだね。広海君は免疫者で、レオ君は庇護者だ。免疫者が選んだ護り手を、僕らは庇護者と呼んでいる。超人的な力を手に入れる代わりに、免疫者から離れられなくなる。理由は知っているよね」
 広海は朱くなって視線を泳がせた。余計なことをいうな、とレオが野上を睨みつける。
「関係ねぇよ。俺はただロミといたいから、傍にいるだけだ」
 その言葉に、広海の緊張はいくらか和らいだものの、ショックを受けていた。レオはどうして黙っていたのだろう?
「ごめん、二人の関係を否定したわけじゃないんだ。ただ覚えておいて。政府は免疫者を血眼になって探している。連中は、感染者も兵器利用に考えているが、それ以上に、生きた免疫者が欲しいんだよ」
 慄く広海の肩を、レオはぎゅっと抱きしめた。
「生き残ってる免疫者は、あとどれくらいいるんだ?」
「僕が知っている限りでは、広海君を含めて三人だ。ナイジェリアとルーマニアに潜伏している」
「それしかいねぇのか」
 レオは少し驚いた声でいった。
「もう手遅れなんだ。自治を築こうとした免疫者集団に対して、政府は、殺戮使嗾しそうという大義名分で、核攻撃という殺戮を犯してしまった」
「か、核?」
 唖然となる広海を見て、野上は深刻げに頷き、
「高い信頼性を持ち、容易に製造ができ、長期保管できる――Reliable Replacement Warhead、通称RRW。反乱因子の無効化という大義名分で、二十一世紀の高信頼性代替核弾頭が数千万人の住む大都市に再び落とされてしまった」
 広海は目を見開いた。大いなる兵器が、再び地球で使用されてしまったというのか――
「政府に高邁こうまいな医療信念なんてない。広海君は免疫者ではないと報告した。館内感染の浄化作用で、君は死んだと思われるだろう」
 それから、と野上はレオを見た。
「君の身に起きた変化を、簡単にいうよ。通常、人間の脳の神経回路は一〇%も解放されていないといわれている。心身に処理可能な境界線があるといわれているんだ。けれど、庇護者は境界を越えていけるという事が、判ってきている。ストッパーを外すのは、免疫者だという事もね。どこまでなら境界を越えていけるのか、慎重に探ることだ。無理はいけないよ」
「俺は、たぶんもう五〇%は解放している」
 レオの言葉に、広海も野上も目を瞠った。
「すごいね。破壊された第三勢力いはく、人類淘汰に選ばれた新人類は、神経回路の上限改変、大飛躍を遂げるそうだよ。誇張めいて聴こえるが、あながち否定はできない。とはいえ、先のことは誰にも判らない。現在進行形だからね」
 野上は次第に早口になり、専門用語を噛み砕くこともせず、滔々とうとうと説明を続けた。広海は理解が追いつかなくなっていたが、隣で聞き入るレオは、全てを理解しているように見えた。
 野上は、レオに少しでも多くの情報を伝えようとしていた。命を燃焼させて言葉に変換しているような、これが最後の瞬間であるような必死さがあった。
 ひとしきり話し終えた後、野上はポケットに手を入れて、黒いUSBメモリを取りだすと、レオに握らせた。
「最新の研究データが入っている。見なくてもいいし、捨ててもいい。君たちの好きにしてくれ」
 そこで、全ての仕事をやり終えたように、長く深い息をついた。追想するように半ば目を伏せ、
「……僕の妻はね、妊娠していたんだ。臨月だった。彼女のためにも、特効薬を作ろうと思ってここへきたんだ……だけど、広海君がきてようやく悟った。上層部の連中は、新薬開発を掲げながら、ゾンビ兵士の戦略製造なんて考えているんだ。こんな事のために、僕は生きのびたわけじゃない」
 重苦しい沈黙が、つかの間流れた。
「……結局、ワクチンは完成しないのか?」
 レオの言葉に、野上はかぶりを振った。
「いや、見込みはある。いや、あった。だけど完成したら、戦略兵器の生産と標準化が進むだけだ。だから、僕は手を引く。君達も逃げてくれ」
「野上さんは?」
 広海は不安げに訊ねた。
「僕のことは気にしないで」
 野上を紅く染まった腕を撫でた。
「ここへ逃げて来る時、感染者に襲われたんだ。試験薬を投薬したけど、効果はせいぜい十時間だ」
 腕を切断すれば見込みはあるけれど、と野上はほほえんだ。
 覚悟を決めた者が浮かべる清冽な笑みが、広海の胸を刺した。
「僕なら治せるかも」
 手段はともかく、レオで立証されている。野上は頸を振った。
「ありがとう、広海君。でもいいんだ。これは僕なりの反逆でもあるから。僕は、ワクチンの完成に最も近づいた研究者の一人だ。でも、僕の頭脳は間もなく退化を与儀なくされる。ざまぁみろだ」
 野上は自分の頭脳を指差して、唇を皮肉げに歪めた。
「一緒にいきましょうよ!」
 広海は手を伸ばすが、レオに抱えあげられた。それを見て野上は、室内の奥にある強化硝子の扉を開けた。
「さ、いって。この先の空気は正常だ。君たちの無事を祈っているよ。逃げるんだ。絶対に捕まっちゃだめだよ」
「野上さんッ……!」
 レオは再び広海を片腕で抱きあげ、走りだした。