超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

3章:サヴァイヴァー - 5 -

 春香の一件から四日後、再び事件は起きた。
 この日、早朝からレオはコロニー退治にでかけており、要塞には広海しかいなかった。
 日中は何の問題もなかったが、十七時過ぎ。五階の廊下の映像に変化が起きた。
 大学生二人組が、縄で縛られた小平昭義を歩かせ、正座させたのだ。
(おいおい……何をする気だ?)
 音声は聞こえないが、項垂れる小平を、谷山と穂高、春香の三人で取り囲んで、詰っているようだ。時折、小平は赦しを請うように頭をさげている。
 嫌な予感がして、広海は、シャツの胸のあたりを掴んだ。無音が逆に恐ろしい……
 モニターを凝視していると、谷山がいきなり小平を殴りつけた。
「あっ」
 吃驚びっくりして、思わず席を立った。
 さらにもう一発谷山が殴り、次に穂高が殴った。間髪入れずに、谷山が胴に蹴りを入れる。
「ひでぇ……」
 広海は両手で口を覆った。先日の、アイスホッケーのマスクを被った二人の姿が脳裡をよぎった。
(マジかよ、春香さんのいっていた話は、本当だったんじゃないか!)
 心臓は太鼓のように重たく響き始め、手にじっとりと汗が滲んだ。胃に鉛を流しこんだような胸苦しさ、深い悔悟かいごに襲われた。
 あの時、救おうと思えば救えたのに、レオに萎縮して春香を追い返してしまった。彼女が嘘をついていたにしても、暴力を振るわれていたのは明らかだったのに!
(今度は小平さんが危ない……でもレオは……いや、ここに連れてこなければいいんだ! そうだよ、五十八階からホテルなんだから、部屋はいくらでもある……機関銃の承認登録は後でお願いするとして……)
 目まぐるしく計算して、広海は少し迷い、ガンベルトを腰につけて拳銃をさした。一応射撃の練習はしている。撃つつもりはないが、念の為持っていった方がいいだろう。
 部屋をでてエレベータに乗ると、レオに短いメールを送った。
“春香さんは正しかった。小平さんが殺されそう。助けにいきます”
 十五階で降りると、心臓の鼓動は烈しく鳴りだした。落ち着けといい聞かせながら、深呼吸をして心胆を整える。
(――よし)
 心を決めて階段を駆け下りていくと、五階の面々は吃驚びっくりした顔で振り向いた。
 背を丸めて床に正座している小平の姿は、哀れを極めた。シャツをズボンからはみだし、鼻血を垂らしている。額は禿げあがり、ざんばらに乱れた髪は、白いものが大分混じっていて、初めて見た時に比べて、十も二十も老けこんで見えた。原因は栄養失調だけではないはずだ。想像を絶する精神的苦痛が、彼をこのように変えてしまったに違いない。
 再び動悸が乱れるのを感じながら、広海は、震える声を発した。
「何してるんですか?」
 谷山は、馬鹿かこいつは、といわんばかりに唇を歪めた。
「なにって、制裁。狩りにいかないくせに、無断で喰料に手をつけたんだよ」
 小平はぶるぶると震えている。言葉は発しないが、絶望の色はありありと見てとれた。
 全員が冷めた目で、彼を見ていた。そのなかには春香もいたが、彼女は広海を見ていた。場の雰囲気を壊したといわんばかりの、不快感の籠もった眼差しで。
 落ち着け。落ち着け――広海はいい聞かせながら、谷山を見た。
「それは、でも、あんまり酷いことはしない方が、」
「広海クーン、お互い不干渉がルールだろ? こっちは、くじ引きで狩りを決めてる。拒否した奴に喰う資格はないだよ」
 谷山は言葉を遮って、酷薄な口調でいった。
「頼む、空腹で死にそうなんだ! 頼む……ッ!」
 小平が必死にいうと、
「外にいくより、餓え死を選んだんだろ?」
 谷山は歪んだ笑みを浮かべ、小平の頭を殴りつけた。
「やめてくださいッ! あの、今回だけは、見逃してあげられませんか?」
 慌てて広海が仲裁に入ると、
「えっ、なんで?」
 谷山は、心底不思議そうに訊き返した。
「なんでって、そんなこと……あ、じゃあ、カップ麺でどうですか? その人が喰べちゃった分を、譲りますから」
 広海の提案に、どうする? と彼等は顔を見合わせた。
「マジ? だけど広海クンの独断で決めていいの? もう一人の、レオって奴はそうはいわないんじゃない?」
 もっともな谷山の指摘に、広海は苦虫を潰したような顔をした。
「レオは今でかけてるから……あとで俺から説明しておきます」
 穂高は鼻で嗤うと、侮蔑の視線をよこした。
「男のくせに姫プレイかよ。お前も自分じゃ狩りにいかないタイプか」
 広海は顔が朱くなるのを感じた。腹に弾丸を貰い受けたような痛みを覚えたが、反論はできなかった。
「レオ君がいて良かったねー」
 谷山も軽薄な調子で相槌を打ち、さらに嘲弄ちょうろうめいた視線を春香からも向けられると、広海は忸怩じくじたる思いで俯いた。
「……今持ってきますから、待っていてください」
 そう答えるのが精一杯だった。
 最上階へ戻り、鈍重な動作で喰料を袋に詰めながら、どうして自分は、こんな思いをしてまで小平を助けようとしているのだろうという、苦い感情が胸に渦巻いた。
 いつもこうだ。正しい判断をしたと思った次の瞬間には、こんなことをしなければ良かったという、苦い悔悟かいごに苛まれる。
 今も、果たしてこれが正解なのかどうか、もう自信がもてなくなっている。要領が悪くて優柔不断。何をやっても、レオのようにうまくできない。
 てしなく気が重かったが、広海はそう時間をかけずに五階へ戻った。
 穂高と雑談していた谷山は、広海の姿を見て、おっという顔をした。手に持っているビニール袋を見て、あからさまな笑顔を向けてきた。
「おかえりー、広海クン」
 気が滅入りそうになりながら、広海は袋ごと谷山に渡した。なかには、カップ麺や乾燥チップス、缶詰といった保存のきく喰料が入っている。
「悪いね~。優しい広海クンに免じて、お前の処刑はなしにしてやる」
 そういって谷山は、穂高と一緒に、小平の縄をほどき始めた。
 ほっとしている広海を見て、谷山は唇を歪めた。
「ねぇ、まだ喰料に余裕あるー?」
 え、広海は戸惑ったように谷山を見た。彼の瞳には、狡猾こうかつなものが浮かんでいた。
「タダでよこせとはいわないよ。懐中電灯と交換はどう? 電池もつけるよ」
「え……これ以上はちょっと……俺たちの分も必要だから」
「じゃあ、カップ麺あと三つだけちょうだい? このとーりっ」
 谷山は拝み手をして、頭をちょこっとさげた。
「えーっと……」
 広海は返事に困って、首の後ろに手を当てた。カップ麺なら大量にあるので、あと三つくらいならいいかという気もするが、彼等の要求に耳を傾け始めたら、永遠に終わらない気もする。
 断ろう――ぐっと拳を握りしめた時、階段を登ってくる音が聴こえた。全員が振り向いたその先に、レオがいた。守備よくいったようで、怪我もしていないし、背負っているバックパックは荷物で膨らんでいる。
「何してんの?」
 谷山が手にしているビニール袋を見て、レオはものいいたげに広海を見た。
「ごめん。その、この人が喰べてしまった喰料分を、譲ることになって」
「は?」
 レオが谷山の方へ詰め寄るのを見て、広海は慌てて割って入った。
「ごめん、ごめんなさいっ! お願い、今回は見逃して」
 両手を拡げて必死にいう広海を見て、レオは一瞬呆れたように天井を仰いだ。ため息を自制して、視線を戻すと、
「次はねぇからな。喰料を渡すのはこれが最初で最後だ」
 レオは谷山を見ていったが、広海は、自分に向けられた言葉のように感じた。
「そんなこといわずに、協力も大事だよ~?」
 谷山が笑いながらいうと、レオは不愉快げに目を細めた。
「いっとくけど、今度偵察とか舐めた真似したら殺すぞ。俺はロミと違って、お人好しじゃねーから」
 白刃のような響きに、へらへらしていた谷山も黙りこんだ。広海も思わずレオの顔を見た。怜悧な表情は、今の言葉が決して冗談でないことを物語っていた。
「いくぞ」
 そういってレオは、広海の腕を掴んで歩き始めた。広海は抵抗しなかったが、少し階段を登ったところで背後から怒号が聞こえると、
「何っ」
 ぎょっとして振り向いたが、レオに腕を掴まれた。
「喰料の取りあいでも始まったんだろ」
 目を丸くする広海を、レオは呆れたように眺めおろした。
「あいつらがまともに分配すると思うか? あのおっさん、結局殺されると思うぜ」
「えっ」
「いくぞ」
「待って! 助けようと思って喰料を渡したのにっ」
 踵を返そうとする広海の腕を、レオは強い力で掴んだ。
「いい加減にしろ。他人に同情してる余裕なんてねーんだよ。本気で生き残ることだけ考えろ」
 感情を抑制した口調は鋭く、広海は気圧されて俯いた。救おうとしたのに、争いの火種にされてしまうなんて――
 茫然と腕を引っ張られるがまま、広海はエレベータに乗った。
 心が凍りついてしまいそうだった。宇宙のてまでいかないと、体感できない暗鬱と冷たさだ。
 ずっと無言だったレオは、部屋に入るなり、広海に詰め寄った。
「なんで五階へいった?」
「……小平さんが縛られて、リンチされてたんです。春香さんの話は本当だったんだって、焦っちゃって」
 レオはうんざりしたようにため息をついた。彼の不機嫌が恐ろしくて、広海は後ずさりをする。
「ガキの遣いじゃねぇんだよ。喰料ぶらさげてノコノコ連中の前にいって、死にてぇのか?」
 壁際まで追い詰められて、広海は仰け反った。情けなくも肩が震えてしまう。
「……拳銃は持っていきましたよ。小平さんが、殺されると思ったから」
 レオはこめかみに青筋を浮かべた。
「その銃を奪われたら、どうすんだよ。自分が殺されたら笑えねーだろうが」
「でも、」
「“でも”じゃねぇ、勝手に部屋をでるなッ!」
 顔の横、壁に拳が叩きつけられ、大きな音が鳴った。
 恐怖に硬直する広海の顔の横に、レオは手をついて、腕のなかに閉じこめた。
(怖い……本気で怒ってる)
 必死に逃げ道を探して視線を彷徨わせると、顎に手をかけられ、上向かされた。
「返事は?」
 レオの口調は厳しかった。傷ついているのに詰られ、広海は視界が潤むのを感じた。
「お、俺だって……ッ」
 反論しようとして、やめた。後ろめたい思いから唇を噛みしめる。
 ばつの悪い沈黙が挟まり、再び口を開くには勇気が必要だった。
「……ごめんなさい。俺はもう、しばらくご飯抜きでいいです」
 おずおずと視線をあわせた広海は、涙目で哀訴した。
「悪いと思うなら、もっと違う方法で詫びろよ」
 全ての感情を封殺したような声だった。
 けれども金緑にかがやく双眸は、隠しきれない昏い欲望を孕んでおり、広海は喉がからからに渇いていくのを感じた。