超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

1章:感染 - 7 -

 感染者はどこへ消えたんだ?
 窓から視線を彷徨わせると、通りを進んだところ、突き当りの手前をふらふらと歩いていた。
 その後ろ姿は、虚ろでありながら奇妙に統制がとれており、広海は訝しげに首を傾げた。
 思考回路は故障していそうだが、群れて行動するのは、生前の名残なのだろうか?
 見守っていると、全員が同じ角を曲がった。彼等が消えていった方向を写真に撮り、広海は急いでレオにメールを送った。
 メールに気づかなかったらどうしよう。電話した方がいい? けれど、かけていい状況かどうか不明だ。
 はらはらしながら数十秒ほど液晶を見守っていると、既読マークがついた。
“着いた。入って大丈夫?”
 広海は窓の外を見た。きょろきょろと視線を彷徨わせるが、レオの姿は見当たらない。
“はい、大丈夫です。感染者はいません”
 返信すると、対面の通りからレオが現れた。無事な姿を見て、広海は安堵のあまり、膝からくずおれそうになった。
 レオは窓辺に立つ広海に気がつくと、手をあげて合図した。広海も手を振って応える。彼がバーに近づいてくる様子を見て、広海は部屋を飛びだした。慌ただしく階段を駆け降りて、相手も確かめずに扉を開けた。
「レオさん!」
 レオは驚いたように目を見張り、それから眉を顰めた。後手に扉を閉めながら、視線は広海の顔に注がれている。
「次は確認してから開けろよ」
「あっ、すみません」
「何があった? 口のとこ、血がでてるぞ」
 はっとして、広海は頬を手で押さえた。
「さっき、男が三人入ってきて、喰料を盗られそうになったんです。止めようとしたら、揉みあいになっちゃって」
 三人? レオは鸚鵡返しに訊ねると、厳しい眼差しで広海を見た。
「無謀だろ」
「う、確かに……でも喰料だし、静観していても見つかるかもしれないって思って」
「いんだよ喰料は。俺が集めてこれるし。そういう時は全力で逃げるか隠れるかしとけ」
 広海はしゅんとした。
「……ですよね。すみません、なんかテンパッちゃって……それで、揉みあってたら、不死感染者がきて」
 そこで広海は言葉を切った。胸の悪くなるような光景が、脳裡をよぎったのだ。
「……喰われたのか」
 レオが言葉を継ぐと、広海は暗い顔で頷いた。
「……俺にもよくわかんないんスけど、俺が一番近くにいたのに、他の三人が襲われて、俺は無事で……そのあと、感染者はどっかいっちゃって」
「……」
 考えこむレオを見て、広海は不安になった。
「どうして俺は、平気なんだろう? 実はもう、感染していたりして……」
 仲間だと思われて、襲われなかったのではないか。深刻げに俯く広海の肩を、レオは掴んだ。
「ちげぇよ、馬鹿。ゾンビにびびっている奴がゾンビなわけないだろ」
「でも」
 レオは肩に回した手に力をこめた。
「ロミは感染していない。大丈夫だ」
 その力強い眼差しに励まされ、広海は瞳に感謝を浮かべて頷いた。レオに大丈夫といわれると、万事がうまくいくような気がするから不思議だ。
「座れよ。手当してやる」
 レオは背負っていた荷物と、革鞘に収めた長包丁を床に置くと、バーカウンターのなかに入り、薬用石鹸で手を洗った。手を拭きながら屈みこんだと思ったら、木製の救急箱を取りだして、テーブルの上に置いた。
 広海は、戸惑ったようにレオを見た。
「俺より、レオさんは?」
「俺は怪我してねぇよ。ほら、座れ」
 広海は、バーカウンターの椅子に座った。するとレオも隣の椅子に座って、慣れた手つきで、広海の傷の手当てを始めた。擦りむけて血の滲んだ腕を見て、顔をしかめる。
「痛かったろ」
「少し。でも、喰料は取り返しましたよ」
「頑張ったな」
 思いのこもった労いの言葉をかけられ、広海は視界が潤むのを感じた。唇を噛みしめて涙を堪えていると、頭をくしゃっと撫でられた。ぱちぱちと瞬きをして涙をやり過ごし、レオに訊ねた。
「外はどんな様子でした?」
「酷いもんだよ。まだあちこちで火は燃えてるし、窓は割れてるし……ただ、屍体は殆どなかった」
「え?」
「昨日のあれ、やっぱり人魂だったんじゃねぇかな。大勢倒れていたはずなのに、今日は殆ど見かけなかった。喰われたのかと思ったけど、それにしたって数があわねーし……」
「……」
 広海は深刻げに押し黙った。沈黙に気がついて顔をあげると、レオは、戸惑ったような表情を浮かべていた。
「……レオさん?」
 気の所為だろうか。一瞬、彼のひとみの虹彩に、金糸のようなかがやきが放射状に走った。広海がじっと見つめていると、レオも貪るように見つめてきていた。
「俺も、妙なことがあってさ」
「妙なこと?」
「うん……」
 レオは珍しくいいよどむと、戸惑った風に視線を揺らした。再び広海に視線を戻すと、唐突に訊ねた。
「なぁ、キスしてもいい?」
「は?」
 ぽかんと口を開ける広海を見て、レオは腹をくくったように続けた。
「なんていったらいいのか……すごく美味そうな匂いがするんだよ、お前」
「えっ」
 広海は顔面蒼白になった。
「馬鹿、勘違いするなよ、感染者に噛まれたわけじゃないからな」
 レオは慌てていった。
 今度こそ彼の瞳が金色にかがやくのを見て、広海はぎくりとなった。レオ自身は変化に気がついていない様子で、説明を続ける。
「コンビニは棚も倉庫もぐちゃぐちゃで、結局スーパーにいったんだ。そしたら他の連中と鉢合わせて、諍いが起きてさ。猟銃で発砲してくる奴がいて、マジで焦ったわ」
「猟銃!?」
「びびるよな。まぁ、あたらなかったからいいんだけど……つーか、弾道がスローモーションみたいにゆっくり見えて、余裕で避けられたんだ」
「さすがレオさん」
 広海は目を煌めかせた。まるで漫画の主人公だ。
 レオは冷静な顔と声で、
「いっとくけど、マジだからな? 発砲された瞬間、弾丸の風圧から角度、軌道まで全部計算できたんだ。どう避ければいいのか頭で判っていて、その通りに躰を動かせば良かった。反射的に避けたっていうより、完全に制御された動きだった」
「えぇ……火事場のっ……てやつですかね?」
「……かもな。ただ、ちょっと人間の域をでてるっつーか……あの日・・・から、俺おかしいんだ。五感が冴え過ぎてる」
「レオさんは、反射神経が素晴らしいから」
 広海は明るくいったが、レオは笑わなかった。
「それにしたって、銃弾を見切れるんだぜ? ありえなくね?」
 その声は慎重で、自分に対して猜疑心を抱いている風だった。広海も笑いをひっこめて、真面目に考えてみた。
「……銃弾に見せかけた、フェイク弾だったとか?」
「違う、弾丸がめりこんだ壁が削れたし。それと、ありえない距離を跳躍できたんだ。地上から十メートル以上離れている屋根から落下しても、死ななかった。パルクールってレベルじゃねぇだろ」
「そんな……」
 レオはじっと広海を見つめた。
「今も、あらゆる音が聞こえるんだ。その気になれば、お前の体温と一分あたりの心拍数、血圧まで測定できる」
 広海は息をのんだ。ありえない――そう思うが、今この状況で何が起きてもおかしくはないのかもしれない。
「最初は、感染の兆候かもしれないと思って……ロミにはいえなかった。いよいよとなったら、独りで死ぬつもりでいたし」
 思わず、広海はレオの腕を掴んだ。鬼気迫る形相を見て、レオはふっと笑った。
「安心しろ、ゾンビじゃねーから。今日ではっきりした。感染はしてないけど、どうやら俺は、スーパーマンになったらしい」
「……それって、いいことですよね? レオさんを助けてくれる力なんだから」
 不安げに広海が答えると、レオは微妙な顔つきになった。
「……どうだろう。すごく、腹が空いていて、どういうわけか、ロミにキスしたくてたまらない」