超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

1章:感染 - 10 -

 朝食を摂ったあと、二人は早速準備に取り掛かった。数日分の水と食料、必要最低限の荷物をバックパックに詰めて、服も着替えた。
 広海は、レオのMA-1のTシャツを貸してもらった。下は制服で、靴は白いスニーカー。頭に工事現場用の安全ヘルメットをかぶり、ミントスプレーを吹きかけた黒いマスクを着けている。不審者じみているが、広海なりの戦闘服である。
 一方、レオはMA-1のカーゴパンツとTシャツ、K・SWISSのスニーカーを履いている。シンプルな格好だが、スタイルが良いので、相変わらずファッション誌のモデルみたいだ。
 準備が整い、二人は裏口の扉に向かった。
 レオが鍵を開ける瞬間、広海は心のなかに湧きあがった恐怖と闘った。
 四日前、宮坂、青木、田口、それから見知らぬ男性が一人、扉のすぐ向こうで壮絶な目にあった。もう屍体はないと聞いているが、あの時の光景は、今も瞼の裏に焼きついている。
 一瞬の覚悟。
 扉の向こうに閑散とした景観が拡がると、広海は思わず拍子抜けした。
 屍体はどこにもなかった。
 割れた瓶や鉄屑などが散乱し、地面に血痕は残っているものの、千切れた四肢や臓物はない。腐臭や異臭もなく、それどころか、渋谷とは思えぬ澄んだ空気を感じた。
 真夏の太陽光線が、誰もいないアスファルトを照らしている。
 安堵に胸を撫で下ろしながら、広海は自分を戒めた。
 こんなことでいちいち心を乱していたら、身がもたないだろう。これから渋谷の街を歩いていかなければならないのだから。
 もうバーに戻ってくることはないが、レオは裏口の扉に鍵をかけた。
「忘れ物ないよな?」
「はい!」
 威勢の良い返事に、レオはくすっと笑った。
「んな緊張すんなよ。何があっても、俺がついている限り大丈夫だから」
 自信に満ちた口調と不敵な笑みが、胸がずきっとするほど格好よくて、凛々しくて、広海の胸は高鳴った。
(カッケ――……)
 憧憬しょうけいの眼差しでぼぅっと見つめていると、デコぴんされた。
「いてっ」
 全く痛くなかったが、つい声にでた。額をさすっていると、レオは真面目な顔でこういった。
「だから、パニック起こして走ったりすんなよ? 必ず俺と一緒に行動しろ」
「はい、判りました」
 広海が頷くのを見てから、レオは階段を降りた。そのまま通りへ歩いていこうとせず、階段下のシャッターの前で立ち止まった。
「あっ! 車庫があったんだ……」
 広海は驚きに目を瞠った。四日前に一度見ているはずだが、気づかなかった。あの時は、それどころではなかったのだ。
「その辺に落ちてる車拾ってもいいんだけどな。今日はバイクでいこうぜ」
 そういってレオは屈みこむと、シャッターを直上に持ちあげた。鉄の擦れる音と共に、陽が射しこんで、立体的に膨らんだブルーシートを照らす。レオがシートを掴んで剥がすと、黒とシルバーの四〇〇CC級の単車が顕れた。
「カッケ――!」
 思わず広海は感嘆の声をあげた。
 だろ? とレオはちょっと得意そうに笑うと、単車を手で押して道路に停めた。間抜けに見惚れている広海を振り返り、
「こっちこいよ。それと、これはしまっとけ」
 と、広海の手から、金属バッドを奪い、バックパックのなかに押しこんだ。
「メットはこっちな」
 次に、広海の装着している安全第一ヘルメットを外させ、座席下のメットインから取りだしたヘルメットと交換した。
「ありがとうございます……こうッスか?」
 広海はおぼつかない手付きで黒いメットをかぶると、顎の下でベルトをとめた。その不慣れな様子を見て、レオはくすっと笑った。
「バイク、乗ったことある?」
「ありません。レオさんのバイクですか?」
「そ。俺、バイクのためにバイトしてたんだよ。こんな状況だけど、やっぱこいつは置いていけねーわ……そういや、人乗せんの初めてだな」
「そうなんスか?」
「他人に触られたくねーし……ロミは例外」
 レオは思わず見惚れるような微笑を浮かべると、後ろのシートを叩いた。
「乗れよ」
 バイクに乗ったレオが格好良すぎて、広海はどきまぎしながら、後部座席にまたがった。
「失礼します」
「そっちに足かけて……そうそう。俺の腰に腕回して」
 広海が遠慮がちに腕を回すと、レオはその手をぐっと引っ張った。
「わっ」
 広海は焦って離れようとするが、レオは逆に手を掴んで引き寄せた。
「危ねーから、しっかり掴っとけ」
「ハイ。あれ、レオさんメットは?」
「いらね」
「あの、安全メットでよければ。いや、俺のを返せばいいのか」
 降りようとする広海の腕を、レオは掴んで引き止めた。
「サンキュ、気持だけもらっとく。舌噛まないように、口閉じてろよ」
「ハイ」
 姿勢が安定すると、レオはエンジンをかけた。
 車体はゆったり旋回し、車道にでると同時にスピードをあげた。
 大通りにでた途端に、無数の顔が振り向いた。
 感情の欠落した歩く屍たち。
 彼等は、バイク音に反応するものの、広海たちを追いかけてこようとはしなかった。手足や臓物を引きずりながら、ふらふらと揺れている。
 最悪な光景も、駅から離れるにつれマシになった。
 渋谷の昼中だというのに、人影はおろか、不死感染者も皆無で、車も走っていない。半壊した街は静寂に包まれていて、時間が止まってしまったかのように感じられた。
 灼熱の八月。
 視界を遮る人も車もないから、道路に揺れる陽炎が際立って見える。
 渋谷は勾配のある坂道が多くて、少し自転車を走らせるだけで汗だくになるが、バイクは楽ちんだ。必死にこがなくても、全身に風を感じられる。
 しばらく順調に走っていると、感染者の群れを追い抜いた。さらに進むと、路端で停まっている白い乗用車に目が留まった。
 生きている人がいる!
 故障してしまったのか、父親らしい男性がタイヤの前に膝をついて屈みこんでいる。彼の家族であろう幼い娘と母親は、車のなかにいて、父親の様子を、心配そうに見守っていた。
「レオさん、レオ! 止まって!」
 広海がいうと、レオは速度を緩めた。肩越しに問いかける。
「どした?」
「後ろからゾンビがくるって、あの人たちに教えてあげないと」
 レオは、うんざりしたように視線を正面に戻した。
「面倒くせぇ」
 再びエンジンを吹かすレオの肩を、広海も負けじと叩いた。
「止まってください! 襲われちゃう!」
 殆ど怒鳴るようにして広海は叫んだ。レオは無言だったが、渋々といった風にバイクを旋回させた。
「しょうがねーな」
 面倒そうに呟いて、車の様子を見ている男性に近づいていった。
「パンクしたんスか?」
 ちょっと離れたところから、レオは訊ねた。
 屈みこんでいた男は、弾かれたように振り向いた。眼鏡をかけた四十路過ぎの、真面目そうな印象の男だ。さっと顔に警戒心を登らせたが、レオと広海の顔をしきりに見比べ、すぐに警戒を緩めた。
「ええ、そうです。金属を踏んだみたいで、右のタイヤが損傷しちゃって」
 相手が高校生でも、彼は丁寧な口調でいった。
「災難っスね」
 レオは傍に屈みこむと、タイヤの状態を見始めた。バックパックから工具類を取りだして、地面に並べた。
「レオさん?」
 何をしているのか、彼の手もとはよく見えない。広海が近寄って手元を覗きこもうとしたら、レオはおもむろに立ちあがり、道具をしまって手の汚れを払った。
「直りましたよ」
「「えっ?」」
 広海と男の声が声がはもった。男は眼鏡を直しながら、屈みこみ、
「あれっ、本当だ直ってる……どうやったの?」
 茫然と呟いた。驚いたままの表情で振り向いて、問いかけるようにレオを見つめた。
「修理得意なんで」
 レオは肩をすくめてみせた。
「はぁ、交換しないとダメかと思ったんだけど……いやぁ、ありがたい。助かりました」
 男は訝しがりながらも、頭をさげた。
 車に乗っている母と娘は、感謝と安堵の表情でレオたちを見ていた。
 レオがどうやって修正したのかは不明だが、彼等の安堵の表情を見て、広海も嬉しくなった。自分が修理したわけではないのだが、なんだか善行をした気分になる。
「これ、良かったらどうぞ……お礼に」
 と、彼は穏やかな笑みを浮かべ、ペットボトルを二つさしだした。
「ありがとうございます」
 礼儀正しくレオが受け取る隣で、広海は頭をかいた。
「俺なんもしてないけど、もらっちゃっていいのかな」
「気にしないで、もらってよ」
 男は笑った。にこやかにいわれて、広海は恐縮しながら受け取った。
「君たちは高校生? これからどこへいくの?」
 少し砕けた口調で、男は思案げに訊ねた。
「はい、高校生です。これから僕の実家にいくところで……母から連絡があったので」
 男は、痛ましい表情を浮かべ、頷いた。
「そう……無事に会えるといいね」
「はい。あの、どちらへいかれるんですか?」
「九段下の避難所だよ。テレビで見てね」
 広海は頷くと、忠告を口にした。
「後ろから、ゾンビの群れが歩いてきています。このままだと、追いつかれちゃうかも」
 男は驚いた顔つきになり、車にいる妻子を振り返ると、再び視線を広海に戻した。
「教えてくれてありがとう。すぐに出発するよ」
「はい。お気をつけて」
「ありがとう。避難所には軍隊がきてくれているというよ。君たちも、これたらあとからくるといいよ」
 広海は頷いた。本当はすぐにでもそうしたいが、先ずは母を助けてからだ。ちらりと隣を見ると、レオも視線をあわせてきた。
 いくぞ。
 無言の圧を感じた広海は、男性に視線を戻して、お辞儀をした。
「それじゃあ……もういきますね。お気をつけて」
「うん、君たちもね。タイヤを直してくれて、どうもありがとう!」
 笑顔で手を振って別れた。
 停めてあるバイクに向かいながら、広海は、少しだけ気分が高揚していることに気がついた。それほど長く喋ったわけではないが、久しぶりの会話に癒やされたらしい。
 今なら、どんな些細なことも幸せだと感じられる。路端を行き来する鼠も可愛く見えるくらいだ。
 在りし日の日常をねがいながら、再びバイクに跨った。