超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -
2章:エナジー・ドリンク - 3 -
入口の自動ドアは罅割 れ、半開きのまま止まっていた。硝子を踏まないよう気をつけながら、二人はなかに入った。
誰もいない。
受付のデスク周辺には乾いた血の跡と、壊れた調度や、書類などが散乱している。
天井から吊られたオープン・セールの垂れ幕を、窓から射しこむ陽光が虚 しく照らすなか、広海とレオの足音だけが、壁に反響して聞こえた。
「……誰もいませんかね?」
「どうかな」
二人は慎重にエレベーターの方へ進んだが、途中で脚を止めた。感染者が屯 しているのだ。
「結構いるな……念の為補給しておくか」
と、レオは広海を振り向いた。
「?」
仰ぎ見る広海を、レオは自分の躰で隠すようにして壁に押しつけてきた。
「レオさん?」
「いつまでレオさん なんだよ。レオでいいよ」
「あ、ハイ……すみません」
そわそわと落ち着きなく、レオの胸に手を添えると、大きく呼気を吸いこんで上下するのが感じられた。
「今度さんつけて呼んだら、キスする」
「えっ……」
硬直している広海の顎を、レオはくいっともちあげた。琥珀 の眼差しが熱くて、広海の顔も熱を帯びていく。
「判りました……レオ」
そろそろ離してほしい。レオの手首を掴んで、指をはずさせようとしたら、素早く唇が重ねられた。
「んっ」
ちゃんと呼んだのに――目を見開く広海を、レオは強い力で抱きすくめた。後頭部を押さえつけて、口づけを深めてくる。
(なんでキス? 補給って、こういうこと!?)
混乱している間に、熱い舌に歯列をなぞられ、内頬を舐められた。逃げ惑う舌を搦 め捕られながら、レオの胸を叩いて抗議するが、
「ん、ゃ……んぅっ」
口内を撹拌 され、溢れでる唾液を啜 られ、淫靡 な水音に鼓膜を嬲 られる。
心臓の鼓動は激しく、酸欠になってしまいそうだ。苦しげな喘 ぎに気がついて、レオは唇をほどいたが、広海が呼吸を整えようとする間も、ちゅ、ちゅっと唇を吸ってくる。
「レオさ……れお」
慌てていい直すと、琥珀 の眼差しが、蜂蜜のように溶けた。頬から耳を掌に包まれて、再び唇が溶け重なる。
「ぁ、んっ……ん、ふぁ……」
首から背中にかけて汗が流れていく。熱中症になりそうなほど暑いのに、気がつけば広海も、レオの背中に両腕を回していた。恋人のように、お互いの唇に夢中になっている。こんなのおかしいと思いつつ、股間が反応して熱くなっていく。
(やばい、やめないと……このままだと、俺……っ)
頭の片隅で理性が囁くが、自分の意志ではどうしてもやめられなかった。
レオから始めて、レオが終わらせた。
貪 るようなキスの後、広海は軟体生物になってしまったかのように、全身に力が入らなかった。レオの胸に、ぐったりもたれてしまう。
「……補給完了」
レオは満足そうに言った。
濡れた唇を親指で拭 われて、広海は恥ずかしさのあまり、憤死するかと思った。
「おっと」
よろめく広海を、すかさずレオが支えた。
「ここにいて。様子見てくる」
髪にちゅっとキスされて、広海は朱い顔で頷いた。唇のキスは感染者避けだとしても、今のキスは? ……まるで女の子にするような甘さではないか?
(感染者避けのキス……ってことは、次があるのか? ゾンビに遭遇するたび、俺はレオと……?)
広海が煩悶 している間に、レオは長包丁を片手に、感染者の横を通り過ぎた。目的のエレベーターまで無事に辿り着き、ボタンを押して待っている。
彼がゾンビに襲われなかったので、広海はほっとした。見守っていると、レオは広海の方を振り向いて、両腕を交差させてバツの合図をした。
(……ん? もしかして、エレベーター使えないの?)
心配になって広海が立ちあがると、そこにいて、とレオは手で合図した。どうするのだろうと見ていると、彼は階段の方へ歩いていった。
(マジか……この建物、六五階だよな)
自分も後で階段を上 るのかと思うと、広海はうんざりした。
ふと感染者がこちらを向いたので、慌てて遮蔽物 に隠れた。襲ってこないにしても、これだけ距離が近いとやはり怖い。
躰を縮めてじっとしているうちに、心臓の鼓動は落ち着いた。
大丈夫。やはり感染者達は広海など眼中にないようだ。ぼぅっと虚 ろな顔で突っ立っている。
しばらくじっとしていると、レオのことが心配になり始めた。スマホを何度もチェックしてしまう。
送ったメッセージになかなか既読がつかないことに気を揉んでいると、複数の足音が聴こえてきた。
階段を凝視していると、いきなりゾンビの団体が下りてきた。何事かと身構えたが、最後尾からレオが顕れると、広海は安堵 に胸を撫で下ろした。
なんとも奇妙な光景だ。不死感染者の引率者よろしく、レオは悠々 と歩いてやってくる。
「お待たせ」
口調は穏やかだが、瞳 の虹彩 は迫力を増し、神秘的な金緑 に赫 いていた。
「どこから連れてきたんですか?」
「上層階。外に追いだしてもいいけど、一階に残しておいた方が、人間避け になっていいよな?」
広海はびっくりしてレオを見た。
「上層階って、どこまで見てきたんですか?」
「全部」
「全部って?」
「六五階全部」
「えっ、どうやって??」
彼がここを離れてから、三〇分も経っていない。そんな短時間にエレベーターも使わず全ての階を見て回れるものだろうか?
「あ――……ま、念力みたいな?」
なぜかレオは言葉を濁した。広海は訝 しんだが、行くぞ、と声をかけられ、慌てて背中を追いかけた。
「何階に行くんですか?」
「とりあえず、五八階。そっから上がホテルみたい」
「五八階……」
「せっかくだし、スィートルームに行ってみるか」
と、レオはどこから持ってきたのか、セキュリティカードを見せた。四角いゴールドカードにホテルのロゴが印字されている。
「スィートルームは何階ですか?」
「六三階」
広海は暗澹 となった。上 る前から、凄まじい疲弊 感に襲われてしまう。
「あと少し頑張れ。部屋に着いたら休めるぞ」
レオの言葉に、広海は力なく頷いた。
階段は広く、片側が硝子張りの窓で開放感はあるが、蒸し風呂のように暑くて、たったの五階で早くも息切れし始めた。
「はぁ、疲れた……」
広海は膝に手をついた。その丸まった背中を、レオは労 るように撫でる。
「大丈夫か?」
「はい……すみません、すごい時間かかっちゃいそう」
「急がなくていいよ。ゆっくり行こうぜ」
「はい……」
上 っては休み、休んでは上 り、なんとか三〇階に辿り着いた。先は長い。ここからさらに三〇階……
「はぁはぁ……遠すぎる……こんなに上 ったら、下りるの大変じゃないですか?」
「でも安全だろ?」
「そうですけど……」
広海は激しく息切れしているが、レオは涼しい顔をしている。真夏に汗もかかず、全く疲れた様子がない。広海が脚を止める度に休憩につきあっているが、彼一人なら、とっくに辿り着いているだろう。
休み休み上 り、ようやく目的の六三階に辿り着いた。
広々としたフロアにある三部屋全てが、スィートルームだ。
そのうちの一部屋を選んで、レオはセキュリティロックをはずして扉を開けた。
さすがスィートルーム。
数寄 を凝 らした瀟洒 な部屋だ。ふわりとした薄い色のカーペットが敷かれ、靴音は殆どしない。
寝室に書斎、カウンターキッチンつきのダイニングルームには、壁一面を覆う湾曲型ディスプレイが鎮座していた。透きとおる硝子の向こうには、夜の東京が宝石のように……瞬 いていないが、見晴らしは良さそうだ。バーカウンターには色とりどりのボトルが並び、高級クリスタルグラスが並んでいる。
さらに奥には、トレーニングルームとミストサウナ、渋谷の深淵をパノラマで見下ろせるジャグジーまで備えられている。
「すげ~、ジャグジーだ……」
広海はどきどきしていたが、レオはゴージャスな室内に関心を示さず、すたすたと部屋を突っ切っていき窓を開けた。
冷房が効いていない部屋はサウナみたいな暑さだったが、窓を開けた途端に、夕暮れの涼風が流れこんできた。
「いい風――……」
思わず広海は声をあげた。レオは冷蔵庫を物色し、ペットボトルを取りだした。
「水飲む?」
「いただきます」
放られたペットボトルを、広海は慌てて受け取った。賞味期限は、来年の夏と印字されている。
「ブレーカー落ちてんのかな。電気は点 かないけど、ガスと水道は使えるみたい。とりあえず、シャワー浴びる?」
レオの言葉に、広海は大きく頷いた。汗みずくで階段を上 ってきたのだ。シャワーといわず、プールに飛びこみたいくらいだ。
「一緒に入る?」
いつの間にか、すぐ後ろにレオがいた。広海はぎょっとして長身を振り仰いだ。にやついた悪戯っぽい顔なのに、ぞくっとする格好良くて、広海は真っ赤になった。
「遠慮しておきます……お先にドーゾ」
声が裏返ってしまった。くっ、とレオが笑う。
「いいよ、先入りな」
頭をぽんぽんと叩かれ、広海は頸 からうえが燃えるように熱くなった。なぜこうもときめいてしまうのだろう?
「えっと、じゃぁ、お言葉に甘えて……」
恥ずかしさのあまり、広海は逃げるようにバスルームに駆けこんだ。
一人になって、シャワーを浴びると、ようやく一息つくことができた。火照った肌に冷たいシャワーが心地いい。設備も充実しており、いい香りの液状石鹸で全身を洗い、髪も高級トリートメントのおかげで艶々になった。
備えつけの白いパイル地のローブを羽織って部屋に戻ると、レオは窓の傍で、電子煙草を吸っていた。
「お待たせしました。次どうぞ~」
「おう」
レオは、最後の煙をゆっくり吐きだした。宙を揺蕩 う煙が、空に消えていく。
その物憂 げな仕草に、広海は見惚れた。自分と二歳しか離れていないはずなのに、どうしてこんなにも大人びて見えるのだろう?
広海は密かな称賛の念で見つめているが、レオの方は、己の美しさに無頓着な様子だった。短くなった煙草を携帯灰皿にしまって、バスルームに入っていく。
広海は、飲みかけのペットボトルを持って、ソファーに座った。
スマホでネットに接続すると、相変わらず情報が錯綜 していた。かかる災厄 と、絶滅に瀕 した世界の様子で溢れかえっている。
憂鬱な気分で眺めていると、幽 かに聴こえるシャワーの音が止まった。
間もなくリビングに入ってきた腰タオル姿のレオを見て、広海は、戦慄 するほどの色香と熱情に目眩 を覚えた。
全身は固く引き締まっており、湯あがりでしっとりしている。しなやかな筋肉のついた肩や、割れた腹筋がぞくっとするほど格好良い。まるでアスリートのような理想的な体型だ。
同性なのに、肢体 の官能性に魅了されてしまう。
ぶしつけに見ていることに気がついた広海は、慌てて視線を逸 らした。
ソファーは広いのに、レオはわざわざ広海の隣に座った。腰をあげて、距離をとろうとする広海の腕を、彼は掴んで引き寄せた。
「あっ」
よろめく広海の肩を、レオの大きな掌が包みこんだ。
「なんで離れるんだよ?」
「え、いや……」
「緊張してんの?」
耳元で囁かれて、広海は朱くなった。
「そんな格好だと風邪ひきますよ」
「こっち見ろよ」
その声が壮絶に色っぽくて、広海は肩をすくめた。前髪を優しく撫でられ、恐る恐る顔をあげると、艶やかな視線に射すくめられた。
「何? レオ……」
広海は笑おうとして、失敗した。熱っぽい目で見つめられて、忽 ち頬が熱くなっていく。
「……俺さ、ロミに触れてるだけで、文字通り力が湧 いてくるんだよね」
「へ?」
手が重ねられ、広海は躰を強張らせた。引き抜こうとした手を、ぎゅっと握りしめられる。
「レオ?」
「触れてるだけでも気持ちいいけど、舐めると……」
そういって手を口元にもっていき、広海の目を見つめたまま指を含んだ。
あまりにも驚いて、どんな反応もできなかった。指を、そっと吸われる。意識した途端に、カッと顔が熱くなり、下腹部が、どくりと脈打った。
「ぁ……やだな、もう」
笑って指を引き抜こうとすると、レオは手首を掴んで、さらに根本まで咥 えこんだ。そのまま、情事を連想させるように、顔を前後させる。
「うぁ、ちょっと……!」
ぞくりと背筋が震えた。触られたわけでもないのに、股間に響いた。
「レオ、やめて」
怯 えたように広海は言った。レオの行為を直視できない。指を舐められているだけなのに、酷く淫靡 な気持ちにさせられる。
ちゅっ……と音を立てて、レオは指を離した。
広海は慌てて、自分の指を護るように、もう片方の手で包みこんだ。
「そんなに警戒すんなよ。冗談だっつーの」
レオは、空気を変えるように言ったが、広海は返事できなかった。冗談でここまでするか? 濡れた指先が、じんじんしている。
「ところで、腹減った?」
思わず、広海は腹の上に手を置いた。
そう言われると、朝林檎を少しとスープを飲んだだけで、昼は喰べていないが、喰欲はなかった。
「俺は、あんまし減ってねーんだよな」
「俺もです」
広海はようやく、レオの顔を見ることができた。
「じゃ、飯はいっか。電気点 かねぇし、もう寝るか」
「はい」
「冷房つかねーけど、しょうがないな……」
残念そうに言うと、レオはバスルームに入り、ローブに着替えて戻ってきた。
窓の外はもう真っ暗で、二人はスマホのライトで照らしながら、寝室に入った。
窓辺に鎮座したシックなダブルベッドを見て、広海は怯 んだ。
(うわ……そうだった。この部屋スィートルームだった)
ちらりと隣を窺 うと、レオもベッドを見つめていた。
「レオさ、ここはレオが使ってください。俺はソファーで寝るんで」
「こんだけ広けりゃ、余裕で二人寝られるだろ」
「……ですかね?」
所在なさげに広海は視線を彷徨 わせたが、レオはさっさと部屋に入り、窓を全開にした。ベッドカバーを丸めて足元の方に寄せると、広海を見やった。
「ほら、早く入れ」
「ハイ」
広海もおずおずとベッドにのりあげた。スプリングが効いていて、寝心地は良さそうだ。
レオがスマホのライトを弱めると、ふっと部屋は薄暗くなった。
「は――……疲れたな」
その声にはまぎれもない疲労が滲んでいた。
「疲れましたね……」
広海もしみじみと同意した。今日ほど最悪な一日は、過去にも未来にもないだろう。
「明日もやることが多いな。先ずは電気直さねぇと……まぁ、今夜は休もう」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
そこで会話は途切れた。
……けれども躰は余燼 を持て余して、妙に昂 ぶっていた。
瞼 の奥に、レオの姿が散らついて離れない。
形の良い唇……広海の指を咥 えて、いやらしくしゃぶっていた。舌の感触をまざまざと思いだして、股間が反応しそうになる。
彼を、おかしいと責められない。おかしいのは広海も同じだ。男なのに……レオに欲情している。ぞくっとするほどの美貌 、形のいい唇、しなやかな筋肉に覆われた肢体 ……
(――やめよう。これ以上考えるのは危険だ。眠ろう。眠るんだ)
強く、強く自分に言い聞かせた。
次第に昂奮は鎮まったが、静寂を意識するとともに、胸苦しいほどの孤独が押し寄せてきた。
なんて一日だったのだろう。
変わり果てた父と母の姿が脳裡 を過 り、きつく目を瞑 った。あんな姿は見たくなかった。いっそ知らずにいたかった……家に、行かなければ良かった。
それとも、はっきりと現実を見なければ、いつまでも望みのない希望にすがって、苦しみを長引かせたのだろうか?
(……父さん。母さん)
回想の辛さに顔が歪む。
歔欷 に浸 され身を縮こませていると、不意に髪を撫でられた。
(レオ……)
今日は泣いてばかりだ。そう思っても涙が次から次へと溢れてくる。
この世界に一つ救いがあるとしたら、それは、隣にレオがいてくれることだ。
誰もいない。
受付のデスク周辺には乾いた血の跡と、壊れた調度や、書類などが散乱している。
天井から吊られたオープン・セールの垂れ幕を、窓から射しこむ陽光が
「……誰もいませんかね?」
「どうかな」
二人は慎重にエレベーターの方へ進んだが、途中で脚を止めた。感染者が
「結構いるな……念の為補給しておくか」
と、レオは広海を振り向いた。
「?」
仰ぎ見る広海を、レオは自分の躰で隠すようにして壁に押しつけてきた。
「レオさん?」
「いつまでレオ
「あ、ハイ……すみません」
そわそわと落ち着きなく、レオの胸に手を添えると、大きく呼気を吸いこんで上下するのが感じられた。
「今度さんつけて呼んだら、キスする」
「えっ……」
硬直している広海の顎を、レオはくいっともちあげた。
「判りました……レオ」
そろそろ離してほしい。レオの手首を掴んで、指をはずさせようとしたら、素早く唇が重ねられた。
「んっ」
ちゃんと呼んだのに――目を見開く広海を、レオは強い力で抱きすくめた。後頭部を押さえつけて、口づけを深めてくる。
(なんでキス? 補給って、こういうこと!?)
混乱している間に、熱い舌に歯列をなぞられ、内頬を舐められた。逃げ惑う舌を
「ん、ゃ……んぅっ」
口内を
心臓の鼓動は激しく、酸欠になってしまいそうだ。苦しげな
「レオさ……れお」
慌てていい直すと、
「ぁ、んっ……ん、ふぁ……」
首から背中にかけて汗が流れていく。熱中症になりそうなほど暑いのに、気がつけば広海も、レオの背中に両腕を回していた。恋人のように、お互いの唇に夢中になっている。こんなのおかしいと思いつつ、股間が反応して熱くなっていく。
(やばい、やめないと……このままだと、俺……っ)
頭の片隅で理性が囁くが、自分の意志ではどうしてもやめられなかった。
レオから始めて、レオが終わらせた。
「……補給完了」
レオは満足そうに言った。
濡れた唇を親指で
「おっと」
よろめく広海を、すかさずレオが支えた。
「ここにいて。様子見てくる」
髪にちゅっとキスされて、広海は朱い顔で頷いた。唇のキスは感染者避けだとしても、今のキスは? ……まるで女の子にするような甘さではないか?
(感染者避けのキス……ってことは、次があるのか? ゾンビに遭遇するたび、俺はレオと……?)
広海が
彼がゾンビに襲われなかったので、広海はほっとした。見守っていると、レオは広海の方を振り向いて、両腕を交差させてバツの合図をした。
(……ん? もしかして、エレベーター使えないの?)
心配になって広海が立ちあがると、そこにいて、とレオは手で合図した。どうするのだろうと見ていると、彼は階段の方へ歩いていった。
(マジか……この建物、六五階だよな)
自分も後で階段を
ふと感染者がこちらを向いたので、慌てて
躰を縮めてじっとしているうちに、心臓の鼓動は落ち着いた。
大丈夫。やはり感染者達は広海など眼中にないようだ。ぼぅっと
しばらくじっとしていると、レオのことが心配になり始めた。スマホを何度もチェックしてしまう。
送ったメッセージになかなか既読がつかないことに気を揉んでいると、複数の足音が聴こえてきた。
階段を凝視していると、いきなりゾンビの団体が下りてきた。何事かと身構えたが、最後尾からレオが顕れると、広海は
なんとも奇妙な光景だ。不死感染者の引率者よろしく、レオは
「お待たせ」
口調は穏やかだが、
「どこから連れてきたんですか?」
「上層階。外に追いだしてもいいけど、一階に残しておいた方が、
広海はびっくりしてレオを見た。
「上層階って、どこまで見てきたんですか?」
「全部」
「全部って?」
「六五階全部」
「えっ、どうやって??」
彼がここを離れてから、三〇分も経っていない。そんな短時間にエレベーターも使わず全ての階を見て回れるものだろうか?
「あ――……ま、念力みたいな?」
なぜかレオは言葉を濁した。広海は
「何階に行くんですか?」
「とりあえず、五八階。そっから上がホテルみたい」
「五八階……」
「せっかくだし、スィートルームに行ってみるか」
と、レオはどこから持ってきたのか、セキュリティカードを見せた。四角いゴールドカードにホテルのロゴが印字されている。
「スィートルームは何階ですか?」
「六三階」
広海は
「あと少し頑張れ。部屋に着いたら休めるぞ」
レオの言葉に、広海は力なく頷いた。
階段は広く、片側が硝子張りの窓で開放感はあるが、蒸し風呂のように暑くて、たったの五階で早くも息切れし始めた。
「はぁ、疲れた……」
広海は膝に手をついた。その丸まった背中を、レオは
「大丈夫か?」
「はい……すみません、すごい時間かかっちゃいそう」
「急がなくていいよ。ゆっくり行こうぜ」
「はい……」
「はぁはぁ……遠すぎる……こんなに
「でも安全だろ?」
「そうですけど……」
広海は激しく息切れしているが、レオは涼しい顔をしている。真夏に汗もかかず、全く疲れた様子がない。広海が脚を止める度に休憩につきあっているが、彼一人なら、とっくに辿り着いているだろう。
休み休み
広々としたフロアにある三部屋全てが、スィートルームだ。
そのうちの一部屋を選んで、レオはセキュリティロックをはずして扉を開けた。
さすがスィートルーム。
寝室に書斎、カウンターキッチンつきのダイニングルームには、壁一面を覆う湾曲型ディスプレイが鎮座していた。透きとおる硝子の向こうには、夜の東京が宝石のように……
さらに奥には、トレーニングルームとミストサウナ、渋谷の深淵をパノラマで見下ろせるジャグジーまで備えられている。
「すげ~、ジャグジーだ……」
広海はどきどきしていたが、レオはゴージャスな室内に関心を示さず、すたすたと部屋を突っ切っていき窓を開けた。
冷房が効いていない部屋はサウナみたいな暑さだったが、窓を開けた途端に、夕暮れの涼風が流れこんできた。
「いい風――……」
思わず広海は声をあげた。レオは冷蔵庫を物色し、ペットボトルを取りだした。
「水飲む?」
「いただきます」
放られたペットボトルを、広海は慌てて受け取った。賞味期限は、来年の夏と印字されている。
「ブレーカー落ちてんのかな。電気は
レオの言葉に、広海は大きく頷いた。汗みずくで階段を
「一緒に入る?」
いつの間にか、すぐ後ろにレオがいた。広海はぎょっとして長身を振り仰いだ。にやついた悪戯っぽい顔なのに、ぞくっとする格好良くて、広海は真っ赤になった。
「遠慮しておきます……お先にドーゾ」
声が裏返ってしまった。くっ、とレオが笑う。
「いいよ、先入りな」
頭をぽんぽんと叩かれ、広海は
「えっと、じゃぁ、お言葉に甘えて……」
恥ずかしさのあまり、広海は逃げるようにバスルームに駆けこんだ。
一人になって、シャワーを浴びると、ようやく一息つくことができた。火照った肌に冷たいシャワーが心地いい。設備も充実しており、いい香りの液状石鹸で全身を洗い、髪も高級トリートメントのおかげで艶々になった。
備えつけの白いパイル地のローブを羽織って部屋に戻ると、レオは窓の傍で、電子煙草を吸っていた。
「お待たせしました。次どうぞ~」
「おう」
レオは、最後の煙をゆっくり吐きだした。宙を
その
広海は密かな称賛の念で見つめているが、レオの方は、己の美しさに無頓着な様子だった。短くなった煙草を携帯灰皿にしまって、バスルームに入っていく。
広海は、飲みかけのペットボトルを持って、ソファーに座った。
スマホでネットに接続すると、相変わらず情報が
憂鬱な気分で眺めていると、
間もなくリビングに入ってきた腰タオル姿のレオを見て、広海は、
全身は固く引き締まっており、湯あがりでしっとりしている。しなやかな筋肉のついた肩や、割れた腹筋がぞくっとするほど格好良い。まるでアスリートのような理想的な体型だ。
同性なのに、
ぶしつけに見ていることに気がついた広海は、慌てて視線を
ソファーは広いのに、レオはわざわざ広海の隣に座った。腰をあげて、距離をとろうとする広海の腕を、彼は掴んで引き寄せた。
「あっ」
よろめく広海の肩を、レオの大きな掌が包みこんだ。
「なんで離れるんだよ?」
「え、いや……」
「緊張してんの?」
耳元で囁かれて、広海は朱くなった。
「そんな格好だと風邪ひきますよ」
「こっち見ろよ」
その声が壮絶に色っぽくて、広海は肩をすくめた。前髪を優しく撫でられ、恐る恐る顔をあげると、艶やかな視線に射すくめられた。
「何? レオ……」
広海は笑おうとして、失敗した。熱っぽい目で見つめられて、
「……俺さ、ロミに触れてるだけで、文字通り力が
「へ?」
手が重ねられ、広海は躰を強張らせた。引き抜こうとした手を、ぎゅっと握りしめられる。
「レオ?」
「触れてるだけでも気持ちいいけど、舐めると……」
そういって手を口元にもっていき、広海の目を見つめたまま指を含んだ。
あまりにも驚いて、どんな反応もできなかった。指を、そっと吸われる。意識した途端に、カッと顔が熱くなり、下腹部が、どくりと脈打った。
「ぁ……やだな、もう」
笑って指を引き抜こうとすると、レオは手首を掴んで、さらに根本まで
「うぁ、ちょっと……!」
ぞくりと背筋が震えた。触られたわけでもないのに、股間に響いた。
「レオ、やめて」
ちゅっ……と音を立てて、レオは指を離した。
広海は慌てて、自分の指を護るように、もう片方の手で包みこんだ。
「そんなに警戒すんなよ。冗談だっつーの」
レオは、空気を変えるように言ったが、広海は返事できなかった。冗談でここまでするか? 濡れた指先が、じんじんしている。
「ところで、腹減った?」
思わず、広海は腹の上に手を置いた。
そう言われると、朝林檎を少しとスープを飲んだだけで、昼は喰べていないが、喰欲はなかった。
「俺は、あんまし減ってねーんだよな」
「俺もです」
広海はようやく、レオの顔を見ることができた。
「じゃ、飯はいっか。電気
「はい」
「冷房つかねーけど、しょうがないな……」
残念そうに言うと、レオはバスルームに入り、ローブに着替えて戻ってきた。
窓の外はもう真っ暗で、二人はスマホのライトで照らしながら、寝室に入った。
窓辺に鎮座したシックなダブルベッドを見て、広海は
(うわ……そうだった。この部屋スィートルームだった)
ちらりと隣を
「レオさ、ここはレオが使ってください。俺はソファーで寝るんで」
「こんだけ広けりゃ、余裕で二人寝られるだろ」
「……ですかね?」
所在なさげに広海は視線を
「ほら、早く入れ」
「ハイ」
広海もおずおずとベッドにのりあげた。スプリングが効いていて、寝心地は良さそうだ。
レオがスマホのライトを弱めると、ふっと部屋は薄暗くなった。
「は――……疲れたな」
その声にはまぎれもない疲労が滲んでいた。
「疲れましたね……」
広海もしみじみと同意した。今日ほど最悪な一日は、過去にも未来にもないだろう。
「明日もやることが多いな。先ずは電気直さねぇと……まぁ、今夜は休もう」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
そこで会話は途切れた。
……けれども躰は
形の良い唇……広海の指を
彼を、おかしいと責められない。おかしいのは広海も同じだ。男なのに……レオに欲情している。ぞくっとするほどの
(――やめよう。これ以上考えるのは危険だ。眠ろう。眠るんだ)
強く、強く自分に言い聞かせた。
次第に昂奮は鎮まったが、静寂を意識するとともに、胸苦しいほどの孤独が押し寄せてきた。
なんて一日だったのだろう。
変わり果てた父と母の姿が
それとも、はっきりと現実を見なければ、いつまでも望みのない希望にすがって、苦しみを長引かせたのだろうか?
(……父さん。母さん)
回想の辛さに顔が歪む。
(レオ……)
今日は泣いてばかりだ。そう思っても涙が次から次へと溢れてくる。
この世界に一つ救いがあるとしたら、それは、隣にレオがいてくれることだ。