月狼聖杯記
10章:背負うもの - 3 -
平らな地面に、直径三十メートルほどの場所をあけさせ、その周囲を大勢の兵士がとりまいた。
シェスラも近衛と共に現れ、進行役の騎士が、捕虜と傭兵とを連れてきた。
渋々やってきた傭兵たちは、ラギスを射殺さんばかりに睨みつけてきたが、ラギスは表情一つ変えなかった。
一同を見回し、ラギスは大きく息を吸いこんだ。
「知っての通り、俺は
よく響く大音量に、ぎょっと驚く面々を見回し、さらに続けた。
「俺はドミナス・アロ屈指の剣闘士だった。その名に恥じぬ闘いぶりを披露することで、大王の
視線を送ると、気圧されたように幾人は視線を伏せた。
「捕虜でも、俺に一太刀でも浴びせることができた者は、勇猛果敢な行動とあっぱれな腕前を、大王シェスラが
と、ラギスは椅子に寛ぐシェスラを振り仰いだ。シェスラが軽く頷くのを見て、捕虜たちは再びラギスを見つめた。
「その者には、再交渉の機会、もしくは馬と水をやる。部下になるもよし、逃げるもよし。好きに選べ」
ラギスは集まった面々を見回した。
「この決闘が、どんな結果を招くか保証の限りはない。だが一つだけ約束しよう。俺は遠慮容赦しないが、残酷に嬲ったりもしない。急所を一撃で仕留めてやる。どうだ? 乗ったっていう奴は名乗りでてこい」
ラギスが視線をめぐらせると、勇敢な一人が手をあげた。
その者は、死を覚悟した目をしていた。傭兵たちに無作為に嬲り殺されるよりは、剣を持って抗う機会を選んだのだ。
「もし俺が勝ったら、次は、あんたの指名した傭兵と闘う。誰がいい?」
ラギスが訊ねると、捕虜は少し躊躇い、腕を伸ばして一人を指さした。掛け金を募っていた男だ。
ラギスは頷いて、指名された傭兵に辛辣な笑みを向けた。胸をとん、と叩いてから指さす。頸を洗って待っていろ――その挑発的な仕草に、文句を吐く傭兵もいたが、ラギスの部下が睨みを利かせて黙らせた。
決闘が始まる。
相手が長剣を抜くのを見て、ラギスも剣を構えた。
公正な決闘をするには、相手と同じ武器か、劣る武器を選ばねばならない。とくに相手が剣を構えている時は、槍や飛び道具は御法度である。
捕虜は、消耗した躰に闘気を漲らせ、突進してきた。
ラギスの
が、決着は瞬時とはいかなかった。
必殺の一撃を、素晴らしく敏捷な動きで躱した男は、こめかみから流血しながら、再び剣を構えた。
ラギスは幾度となく闘技場で、こういう目をした男たちを斬ってきた。やぶれかぶれで突っこんでくる者もいれば、感覚を研ぎ澄まし、集中して挑む者もいた。皆、生き残るために剣を
「らぁッ!」
相手の激しい突きをかわし、ラギスは渾身の一撃で、柄元まで心臓を突き刺した。男が膝をついて倒れる。
「運んでやれ」
ラギスが顎をしゃくると、部下が彼を円陣から運びだした。
「次はお前だ」
さっき指名された傭兵をひたと見据えると、困惑のまじった目でラギスを見返してきた。
「本気でこの俺とやろうってのか?」
昂然と振る舞おうとしているが、怯えのいりまじった虚勢であった。ラギスは鷹揚に頷き返し、
「早く降りてこい。大王も照覧する決闘場だ。文句はいわせねーぞ」
「調子に乗るなよ」
男は歯を軋ませるようにして罵った。瞳孔の伸びた緑色の目は、煮えるような怒りで底から光を放っていた。
いざ勝負。
ラギスは曲剣を
血濡れた刃を振って、周囲を見ると、笑いは起こらなかった。
「俺は奴隷剣闘士だ。そこは否定しねーが、殺しを楽しんでいたわけじゃねぇ。生き延びる手段だっただけだ」
幾つもの視線がラギスに集まった。
「殺しあいがそんなに見たいっていうなら、見せてやるよ。ただし、お前らも命を張れよ。観客席なんてないんだ。自分の命に金を懸けろ」
場が鎮まった。
冷静な目をむけると、俯く者、見つめ返してくる者、様々だった。
新たに、捕虜の一人が進みでた。
「仇をとらせてもらう」
静かに剣を抜く。
ひりつくような緊張、荒々しい
どこまでも純粋な、生死を懸けた戦いだからなのだろうか。
彼もまた、死に直面した者の脅威で、見事な闘いぶりを披露し、最期はラギスの刀剣に敗れた。
命を賭した戦いを見守る者に、最後は笑いも野次も起きず、ただ真剣に、彼等のあがく姿を、命の最後の
神秘と儀式めいた雰囲気のもたらす不思議の気持ちに、無意識に涙を溢れさせる者もいた。
命の奪いあいを、娯楽ととらえたことはない。剣闘士のなかには、そういう奴もいた。だがラギスは違った。生き伸びるための、たった一つの手段だったのだ。
ラギスの一振りは重い。
生半可な思いでは剣を
「らァッ!」
烈迫の気合で切り結び、最終的にラギスは、五名の捕虜を斬った。
その分だけ傭兵も死んだ。
一太刀に届かずとも、勇敢に戦い、王に赦免された捕虜の一人は、馬と水を求めるよりも、ラギスの部下になることを選んだ。
全てが終った時、誰も、文句はいえなかった。
観衆から称賛の呟きさえ漏れたが、ラギスは無視した。彼は、最期にこうしめくくった。
「誰がなんといおうと、俺は掠奪は認めねぇ。暴れ足りないっていう奴は、この俺が相手になってやる。いつでもかかってこい」
ぎらりと睨み渡せば、傭兵たちはそろって下を向いた。