RAVEN

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 なんだか、おかしなことになってしまった……と、ポーズをとりながら、流星は物思いにふけっていた。
 今日は全裸になり、腰にシーツを巻きつけた姿で、寝椅子に後ろ向きに座っている。背中に生じる光と影の対比を描きたいからと部屋の照明は落とされていて、どこか退廃的な雰囲気をかもしている。
 今日は会話も少なく、レイヴンはデッサンに集中している。
 後ろを向いていても、全身をくまなく這いまわるような視線を感じる。触れられてもいないのに、下肢に溜まっていく熱を、流星はさっきから苦心して逃がしていた。
「ありがとう、流星さん……」
 レイヴンは鉛筆を置くと、静かにいった。終わりと、始まりの合図だ。
 傍にやってきたレイヴンは、流星の肩に手を置いて、そっと抱きしめた。そのまま赤くなった流星の耳に唇を寄せ、吐息をふきこむように囁いた。
「……キスしてもいい?」
 流星は答えることができなかった。胸がぎゅっと締めつけられたみたいに苦しくなる。
 喘ぐように吐息をもらす流星の頬に指をかけ、レイヴンはそっと上向かせた。長いまつ毛に縁取られた青い瞳は、欲を孕んで翳って見える。綺麗な顔が降りてきて、流星は静かに目を閉じた。
「ん……」
 啄むようなキスを繰り返しながら、寝椅子に押し倒される。
「は……流星さん、好き、です……」
 唇を触れあわせたまま、レイヴンが囁く。流星が迷うように視線を揺らすと、レイヴンは再び唇を重ねてきた。後頭部を手で支えて退路を塞いでから、舌を挿しいれてくる。
「んっ、ふぅ……っ」
 歯列を割って、口腔を優しく刺激する。舌を吸われて、そっと噛まれると腰が震えてしまう。
 本当に、どうしてこうなってしまったのだろう? 
 あの日から、デッサンのあとに淫蕩に耽るようになってしまった。流されてしまう流星もいけないのだが、あとから冷静になる度にやめようと説いても、レイヴンは聞く耳をもたない。若者らしい情熱さで迫ってくる。
 彼があまりにも境界を軽々と飛び越えてくるので、思わずにはいられない。好きだといってくれるが、本当のところはどうなのだろう? どうしても理性が働いて、様々なことを考えてしまう。
 と、レイヴンは大胆に流星の身体を撫であげ、乳首をそっと指で挟みこんだ。
「あんっ……」
 流星の唇から高い声が漏れた。
「流星さん……好きです。もっと、感じて……」
 熱に浮かされたように、レイヴンが耳元で囁く。身をすくめる流星を抱きしめ、耳を唇で食んだ。
「あっ、や……あああ……」
 耳のなかに熱い舌がもぐりこんでくる。濡れた音が鼓膜に響いて、身体の芯が震えた。反射的に逃げようとする身体を引き戻されて、唇を奪われる。
「んぅっ!」
 若さなのだろうか。レイヴンのキスはいつも情熱的で、判断力を奪われる。今日こそはきっぱり断ろうと思うのに、キスをしているうちに、なにをされてもいいという気持ちになってしまう。
「んっ、レイヴン……ッ」
 焦らすように突起を撫でられ、流星はのけぞった。レイヴンは露わになった喉に唇で触れ、ついばむようなキスを何度も落としていく。そのまま胸までおりていき……赤く尖った突起に吸いついた。
「あっ、んんっ……」
 もだえる流星を抱きしめ、両の乳首をかわるがわる愛撫する。こんなことをしてはいけないのに……そう思っても、やめられない。レイヴンに触れられたくてたまらない。足を擦りあわせていると、膝に手がかかり、あられもなく開かされてしまう。
 餓えたような青い瞳に射すくめられ、流星は自分が小さくていたいけな生き物になったような気がした。
「レイヴンも、脱いで……」
 流星が遠慮がちにレイヴンのシャツに手をかけると、彼はじっと流星を見、身を起こして男らしくシャツを脱ぎ捨てた。ベルトも緩めて、引き締まった上半身と腰を惜しげもなくさらす。
「あぁ……っ」
 流星は官能的なため息をついた。こんなにも美しい男に組み敷かれているのだと思うと、ぞくぞくする。熱っぽい視線に見つめられているだけで、身体の芯が昂っていく。
 二つの灼熱を掴み、レイヴンは擦りあげた。流星の息も荒いが、レイヴンの息も荒くなっている。艶っぽい吐息が耳元で聞こえて、身体が熱くなる。
「んんっ! あっ、ああ、あああ……っ」
 びくびくっ、と身を震わせてレイヴンにしがみつく。彼は、しっとり汗ばんだ腕で、流星をきつく抱きしめた。
 呼吸を整えながら、のたうつ心臓を宥めていると、不意にインターフォンが鳴った。
「……誰だろう?」
 レイヴンはズボンを履いてシャツに袖を通しながら、見てきます、とアトリエをでていった。
 部屋に静けさが戻ると、流星の妙に昂ってふわふわ浮き足立っていた心から、軽やかさが少し消えた。
(またやっちまった……)
 片手で目を覆い、かぶりを振る。今のところは流星が拒んでいるので、深く交わることはしていないが、それも時間の問題のように思われる。
 年下の男に翻弄されていても、流星はどこか冷静でいた。好意を示されるたびに、考えてしまうのだ。彼は、ようやく二十歳になろうとしている青年なのである。今が青春の盛りだろう。アーティストとしてストイックな生活を送る反動で、たまたま傍にいる流星に、好意と性欲がないまぜになって向かっているのではないだろうか?
 そう思うと、彼が好きだといってくれても、同じ言葉を返せなくなる。
 流星はけだるげに身体を起こし、シャツの釦を留めながら、イーゼルの前に立った。彼がどんな風に流星を描いているのか、ふと気になったのだ。
 無造作に置かれたスケッチブックをめくり、そこに描かれている絵を見て、ずるりと恐怖に引きずられるのを感じた。
 鉛筆で描かれた流星の裸体は、荒い線なのに、光と陰影が巧妙で、現実よりもずっと艶めかしく見える。モデルをしていたから、どんな風に描かれているか想像できているつもりでいたが、全く違った。
 何枚ものスケッチは、心の深淵に沈めた記憶、筋肉と肌に刻みこまれた忌まわしい記憶を次々に呼び起こした。のしかかってくる男の体重、激しい突きあげ、肉体の痛み、首に食いこむ指――動悸がして、心臓の音が耳奥で鳴っているような気がする。
 気がついた時には、脱兎のごとく部屋を飛びだしていた。
「流星さん?」
 廊下でレイヴンとすれ違ったが、立ち止まる余裕はなかった。