メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

10章:ナプトラ諸島沖合海戦 - 1 -

 ナプトラ諸島の沖合を巡航して五日。
 船内は緊迫した空気に包まれていた。ヘルジャッジ号の航路を、見知らぬ船が追いかけていたと、懇意にしている商船組合から情報が入ったのだ。しかも、途中で船影を見失ってしまったという。
 襲撃の不安を残したままでは、無防備に船を泊めてブルーホールに挑めない。
 見張りにつく乗組員や、情報を駆使する航海士達は、見えぬ敵をどうにか見透かさんと頭を悩ませていた。
 しかし、十月にはロアノスへ戻らねばならないことを考えると、あまり時間を費やすこともできない。
 膠着状態を見かねて、ヴィヴィアンは優美な応接間にシルヴィー、ロザリオ、サディール達――戦闘における幹部乗組員、そしてティカを集めた。

「ブラッキング・ホークス海賊団じゃないというのは、確かなのか?」

 長身を壁に預け、眠たげな生欠伸を噛み殺して、ロザリオが問いかけた。

「組合の情報によればな」

 海図を見つめたままシルヴィーが応えると、偽装の可能性は? と横からサディールが口を挟んだ。

「その可能性もある」

 否定はしない。確実な情報は一つもない現状、明晰なシルヴィーであっても回答しかねるのだ。

「連中、どこに消えたんだ? ブルーホールに挑んでいるところを狙われたら、不利だぞ」

 いかにも面倒臭げにロザリオは呟いた。彼はヴィヴィアン達が潜水している間、島に下りて遊びに行きたいのだ。

「音響探査をしかけてみる?」

 気安い口調でヴィヴィアンが提案すると、我等が航海長は少々憂鬱そうに、こめかみを押さえた。

「そうしたいところだが、これから潜水することを考えると、無駄なエーテル消費は押さえておきたい……」

「ナプトラ諸島を迂回して、俺達の正面に現れるか。投錨するのを待っているのか。或いは、陽動で伏兵がいるのか……どれだと思う?」

「相手の総戦力を知らない以上、憶測のしようがない」

 軽く首を横に振り、シルヴィーはため息をついた。彼等の苦慮する様子を見て、ティカはどうしてこの場に呼ばれたのかを唐突に悟った。

「友達が教えてくれました。敵は海の下です。水面下を泳いでくるんですッ!」

 だいだいの瞳に閃きを点して、自信たっぷり高らかに告げたが、虚しい沈黙が流れた。

「……なんてこったい」

 長い足を組みながら、ヴィヴィアンだけは、ぽりぽりと頬を掻いて笑った。
 海図に向き合うシルヴィーは、欠片も表情を変えずに、顔を上げて厳しい眼差しを一同に向ける。

「仕方ない……情報不足は命取になる。エーテルを消費してでも、索敵すべきだろう」

「地下潜水で活動するには、結構な量のエーテルを使う。いるかも判らん敵に使うのは惜しいぞ」

 腕を組み、難色を示したのはサディールだ。
 彼等は、何事もなかったかのように会話を続行している。ティカの発言は、無かったことにされたらしい。

「消費を渋って危険を見逃したら、元も子もないだろう」

 冷静にシルヴィーが反論すると、まぁな、とサディールもしかつめらしく頷いた。

「案ずるより産むが易しかもよ。安全圏の境界線に探査網を張っておいて、さっさと潜る?」

 あくまでも潜水したいヴィヴィアンは、鷹揚な笑みを浮かべて提案した。

「狙い打ちされたら?」

「戦闘は任せたよ」

 偉大なるキャプテンは、我関せずえんとして言い切る。シルヴィーの纏う空気は、十度ほど下がった。

「……怒るぞ」

「まぁ待て。俺は尊敬する航海長の論を弱めるつもりはない。英邁えいまいな君を讃えんとする前に、ここは一つ、ティカの証言を検討してみようじゃないか」

「もったいぶった言い方は止めろ。余計に腹が立つ」

「つまり、海上にいたはずの船影が消えた。いずこへ? 答えは海上にあらず、連中は水面下に潜っているんだよ」

 寝椅子に深く沈み込みながら、昂然こうぜんと語るヴィヴィアンを、シルヴィーは冷めた蒼氷色アイス・ブルーの瞳で見下ろした。

「……ほう?」

「相手は、腹に相当なエーテル機関を積んだ、最新型の魔導改造船とみた」

「帆で海流を受けて、深海を航行していると? アンタの炯眼けいがんには脱帽するよ」

「シルヴィー、鯨やイルカは海の出来事は何でも知っているんです。彼等は嘘なんてつかない。敵が海を潜ってきているのは、本当です」

 鼻先で笑い飛ばすシルヴィーを見上げて、ティカは真剣な口調で説いた。すると今度は、彼も無視せずに視線をよこす。

「ティカの言う通りだよ。俺達の哨戒網を抜けるのは、言うほど簡単なことじゃない。海上に捕らわれず、水面下に眼を向けるべきだ」

 更にヴィヴィアンが続けると、思案するようにシルヴィーは沈黙した。

「いいかい。もしも、本当に潜航しているのなら、相当な技術力だ。でも、戦術は読めたも同然。こちらを射程に捕えるまで潜航して、域内に入り次第、雷撃深度に浮上して魚雷発射だ」

「一海賊に、それだけの潜水戦術があると言うのか?」

 柳眉をひそめ、推し量るようにシルヴィーは尋ねた。

「機帆船というより、艦と思った方がいい。威容に関しては、組合の証言もある――でも、撃たせないよ。技術はうちだって負けていない。対潜水艦の戦略・戦術勝負だ」

「……判った」

 ついに、シルヴィーが不承不承ながら服すと、全員の視線がヴィヴィアンに向かった。

「お宝の前に、鼠の火炙りだ。諸君、撃鉄は起こしておけよ」

 好戦的な笑みを浮かべて、彼は告げた。戦闘方針が決まり、全員の顔つきが引き締まる。

「アイ、キャプテン」

 一同、異口同音に唱和。ヘルジャッジ号はその日のうちに、作戦を実行に移した。