メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -
3章:気まぐれな夜に、薔薇祭の調べ - 2 -
「ですが……」
「本当にいいの。貴方は、彼の凍りついた心を溶かし、波紋を呼び起こしてくれた」
「……?」
「あの頑固者が、理性では計り知れない、大いなる恋を知ったのよ! こんなに嬉しいことはないわ」
「こ、恋なんて……」
「貴方に恋をして、切なさを知り、思い遣りを知り、嫉妬を知り……己が振る舞いを内省し、遂には、力では侵せない心の聖域を知ったのよ。オフィーリアには、感謝してもしきれないわ」
「我が君にも、同じことをいわれました。ですが、私はとても同じようには思えません」
叱責こそあれ、感謝されるとは露ほども思っていなかったオフィーリアは、困惑に視線を揺らした。
「貴方は震えているように見えて、意外に芯が強いわ。その謙虚さは、貴方の好ましいところでもあるのだけれど」
自信なさげに口を噤むオフィーリアを見て、アンジェラは眼を和ませた。滑らかな青髪に指を潜らせる。
「どうか、解く方法を、教えていただけないでしょうか?」
「そうねぇ……ここが地上 なら一日で解けるのだけれど……」
美貌にたゆたう微苦笑に見惚れつつ、オフィーリアは緩く首を振った。
「ここへきて、百の夜を数えました。ですが、一向に解けません」
「精霊界で魔法を解くには、言葉が必要だわ」
「どのような?」
前のめりになるオフィーリアの胸を、アンジェラは人差し指で突いた。
「焦らなくても、自然と判るわ。本当は知っているはずなのだから」
焦ったように、オフィーリアは首を左右に振った。
「駄目なのです。古い書物にも目を通しましたが、どうしても判りませんでした」
「そうねぇ……やっぱり、薔薇祭が終わったら教えてあげるわ」
「今ではなりませんか?」
「それじゃつまら……こほん。うん、まだ早いのよ」
不自然な咳払いを怪訝に思いつつ、オフィーリアは美貌を見つめた。
「ですが、このままでは、我が君の魔法が解けません!」
「あの魔法は、相手の心を奪うだけではないのよ」
訝しげに眉を寄せるオフィーリアの頬を、アンジェラはたおやかな繊手で撫でた。
「どうしても思い出せなければ、その時は教えてあげる。だから、思い悩まずに、薔薇際を楽しんでほしいわ。アシュレイのことも、避けないであげてね」
「……」
卓に置かれた、箱にしまわれたままの衣装を見て、アンジェラは微笑を零した。
「貴方を想って、アシュレイが選んだのよ。あの堅物が、あんなに嬉しそうに女性に贈り物をするなんて初めて。それを着て、踊る姿を見せて欲しいわ」
「私には、分不相応です」
「ねぇ、オフィーリア。魔法のことは、少し忘れましょう? 薔薇際はそれは賑やかで、音楽に溢れていて、とても素敵なのよ。楽しみましょうよ」
「……」
「ねっ?」
両手を掬い上げて、アンジェラはかわいらしく小首を傾げた。敬愛する女神に、瞳を煌めかせて懇願されると、拒むことは難しい。
「……はい」
観念したように返事すると、アンジェラは満足そうに微笑んだ。優雅に席を立つや、軽やかに身を翻して部屋を出ていこうとする。
「夢幻の君」
慌てて追い縋るオフィーリアを振り返り、アンジェラは謎めいた微笑を浮かべた。
「約束よ。薔薇際を楽しんでね」
そう告げると、今度こそ姿を消した。辺りには、残り香だけを漂わせて。
たおやかな外見を裏切る、嵐のような女性であった。
「本当にいいの。貴方は、彼の凍りついた心を溶かし、波紋を呼び起こしてくれた」
「……?」
「あの頑固者が、理性では計り知れない、大いなる恋を知ったのよ! こんなに嬉しいことはないわ」
「こ、恋なんて……」
「貴方に恋をして、切なさを知り、思い遣りを知り、嫉妬を知り……己が振る舞いを内省し、遂には、力では侵せない心の聖域を知ったのよ。オフィーリアには、感謝してもしきれないわ」
「我が君にも、同じことをいわれました。ですが、私はとても同じようには思えません」
叱責こそあれ、感謝されるとは露ほども思っていなかったオフィーリアは、困惑に視線を揺らした。
「貴方は震えているように見えて、意外に芯が強いわ。その謙虚さは、貴方の好ましいところでもあるのだけれど」
自信なさげに口を噤むオフィーリアを見て、アンジェラは眼を和ませた。滑らかな青髪に指を潜らせる。
「どうか、解く方法を、教えていただけないでしょうか?」
「そうねぇ……ここが
美貌にたゆたう微苦笑に見惚れつつ、オフィーリアは緩く首を振った。
「ここへきて、百の夜を数えました。ですが、一向に解けません」
「精霊界で魔法を解くには、言葉が必要だわ」
「どのような?」
前のめりになるオフィーリアの胸を、アンジェラは人差し指で突いた。
「焦らなくても、自然と判るわ。本当は知っているはずなのだから」
焦ったように、オフィーリアは首を左右に振った。
「駄目なのです。古い書物にも目を通しましたが、どうしても判りませんでした」
「そうねぇ……やっぱり、薔薇祭が終わったら教えてあげるわ」
「今ではなりませんか?」
「それじゃつまら……こほん。うん、まだ早いのよ」
不自然な咳払いを怪訝に思いつつ、オフィーリアは美貌を見つめた。
「ですが、このままでは、我が君の魔法が解けません!」
「あの魔法は、相手の心を奪うだけではないのよ」
訝しげに眉を寄せるオフィーリアの頬を、アンジェラはたおやかな繊手で撫でた。
「どうしても思い出せなければ、その時は教えてあげる。だから、思い悩まずに、薔薇際を楽しんでほしいわ。アシュレイのことも、避けないであげてね」
「……」
卓に置かれた、箱にしまわれたままの衣装を見て、アンジェラは微笑を零した。
「貴方を想って、アシュレイが選んだのよ。あの堅物が、あんなに嬉しそうに女性に贈り物をするなんて初めて。それを着て、踊る姿を見せて欲しいわ」
「私には、分不相応です」
「ねぇ、オフィーリア。魔法のことは、少し忘れましょう? 薔薇際はそれは賑やかで、音楽に溢れていて、とても素敵なのよ。楽しみましょうよ」
「……」
「ねっ?」
両手を掬い上げて、アンジェラはかわいらしく小首を傾げた。敬愛する女神に、瞳を煌めかせて懇願されると、拒むことは難しい。
「……はい」
観念したように返事すると、アンジェラは満足そうに微笑んだ。優雅に席を立つや、軽やかに身を翻して部屋を出ていこうとする。
「夢幻の君」
慌てて追い縋るオフィーリアを振り返り、アンジェラは謎めいた微笑を浮かべた。
「約束よ。薔薇際を楽しんでね」
そう告げると、今度こそ姿を消した。辺りには、残り香だけを漂わせて。
たおやかな外見を裏切る、嵐のような女性であった。