アッサラーム夜想曲

第4部:天球儀の指輪 - 19 -

 久しぶりにサリヴァンを訪ねると、相変わらず穏やかな笑みで迎えてくれた。一段高い窓際の絨緞へ案内してくれる。
 いつ見ても、とても落ち着いた内装の書斎である。
 灰色の幾何学模様の床石に、窓から降り注ぐ光が反射して仄かに煌めいている。部屋の左右には背の高い本棚があり、幾種もの蔵書が整然と並べられている。

「今朝、初めてジュリと一緒に、典礼儀式に出席しました」

 早速、今朝の典礼儀式について報告すると、

「良いことですよ。祈りを捧げることは、あらゆることに通じています。くろがねを扱う際にも触れる境地ですから、きっと御身の助けとなるでしょう」

 的確すぎる言葉が返り、光希は目を丸くした。心の内を読まれたのかと思った。

「鉄を打てなくなった時、天に見捨てられたかと思いました。僕の信仰心が足りないせいかと……」

 サリヴァンは破顔すると、愉快そうに笑声しょうせいを上げる。

「何をおっしゃる。花嫁ロザインをシャイターンが見捨てるだなんて」

 そうだと信じたいが、今日の典礼儀式を思い返すと不安を覚える。眠たげな生欠伸を噛み殺していた光希を、神はよみしてくれるだろうか?

「ムーン・シャイターンからは、復調されたとお聞きしましたよ」

 笑いを収めたサリヴァンはふと光希を見やる。

「はい、おかげさまで……これを機に、蓋然性がいぜんせいを高めたいと思ったというか」

 しどろもどろで応えると、サリヴァンは先を促すように頷く。

「実は神力をどう鉄に宿すのか、きちんと理解はしていないんです……いつも無我夢中のうちに、なんとかできたって感じで」

 法則や仕組みがあるのなら、ぜひ教えを請いたい。

「理屈を介さずとも鉄を打てば響くのは、殿下が御力を引き寄せる才に恵まれているからでしょう」

「理屈を介したいんです」

 即答すると、サリヴァンは微苦笑を浮かべた。生徒を見やる師のような眼差しを向ける。

「理屈というより……日々の暮らしと共に培う感覚なのです。どのような生まれであれ、御力に触れずには生きていけません。それは、農民なら鉄を手に土を耕した時から、戦士なら武器を手にした時から、神官なら天球儀の指輪をはめた時から自然と備わってゆくもの」

 経験ということだろうか……。視線はそのままに思いふけっていると、師は右手に嵌めていた指輪を外して見せた。
 なんだろうと見ていると、指輪は意外な形に化けた。留め金を支柱に広げることで、天球儀の形になる、折りたたみ式の指輪だった。

「広げると天球儀になります。神官は天文学信徒でもある。そのあかしを身に着けることで、意識を高め、広く雄大な神々の世界アルディーヴァランに、思いを馳せているのです。ほんの一例ですが……こうした日々の繰り返しにより、自然と御力を傍に感じるようになるのです」

「すごい……指輪にこんな仕掛けがあったなんて。留め金や細工がすごく精巧ですね。とても繊細に作られている……」

 三連の指輪を留め金で上手く制御している。細やかな設計の元に作られたのだろう。天文学への愛情と、熱意が伝わってくる指輪だ。

「鉄に触れるうちに、ごく自然に介せるようになりましょう。苦慮するからこそ鉄も美しく鳴るというもの」

 やんわりと“焦っても仕方ない”と言われた気がした。
 ふと公宮へ来たばかりの頃を思い出す。ジュリとすれ違っていた時、同じように言葉をかけてもらった覚えがある。また焦り過ぎているのだろうか……。

「今度、神官宿舎を訪ねると良いですよ。イブリフという名の、幼いシャイターンを育てた老師がおります。彼の目線で一日を見ると、様々なものが映りましょう」

「ジュリを育てた人ですか?」

 俄然興味を引かれた。会える者なら、ぜひ会ってみたい。

「ムーン・シャイターンにもご一緒していただきたいものです。時には、心を落ち着かせる静寂も必要です」

「では、ジュリに聞いてみますね」

 サリヴァンは穏やかな笑みで首肯した。