アッサラーム夜想曲

第2部:シャイターンの花嫁 - 32 -

 その日の夜。
 既にナフィーサから知らせを聞いていたジュリアスは、邸に戻るなり光希に詰め寄った。

「それで、どうしてブランシェット姫は、ここへきたのですか?」

「ん? ナフィーサから聞いていない?」

「聞きましたよ。ブランシェット姫が、約束もなく私の不在時にコーキを訪ねたと」

「うん」

 呆れたように溜息をついたジュリアスは、青い瞳で疾しい心を探るように、光希の顔を覗きこんできた。
 見惚れるほど美しい微笑を湛えているが、目は少しも笑っていない。

「コーキ、昨日の今日ですよ? どうして大人しくしていられないのですか?」

「僕のせいじゃないよ……」

 不当に詰られた心地で、光希はふて腐れた顔をした。光希だって、今日はのんびり書斎で過ごすつもりでいたのだ。

「はぁ……性質たちの悪い嫌がらせですね。放っておきましょう。コーキは金輪際、私の不在時に邸に人を入れないでください」

「ジュリッ!」

 声を荒げると、宥めるように肩をぽんぽんと叩かれた。その手を振り払うと、ジュリアスは腰に手を当てて首を傾げた。

「そんなかわいらしく怒っても、駄目ですよ。この件は放置します」

『アホかっ!』

 思わず、日本語で怒鳴ってしまった。

「そもそも、止める必要がありますか? 出過ぎた真似をした宮女が粛清されるだけでしょう」

 さも面倒そうに息を吐くと、ジュリアスは上着を脱いで適当に椅子にかけた。襟を寛げて身軽になると、言葉を失くしている光希の傍に戻り、顔を覗きこむ。

「コーキ……? どうかしましたか?」

「ジュリ、人がね……」

 死ぬかもしれないのだ。でも、ジュリアスにしてみれば……

「人が、何?」

 身軽になったジュリアスの恰好を眺めて、つくづく思う。
 彼は室内でも、サーベルは絶対に外さないし、短剣も足や胸に四つは隠し持っている。武装は恰好ではなく、実戦で人を殺める為のもの。
 光希にはとことん甘いから忘れがちだが、ジュリアスは戦闘、殺人におけるスペシャリストだ。知り合いが殺されるかもしれないと聞いて、光希は上を下への大騒ぎだが、彼にしてみれば取り立てて騒ぐこともない、日常茶飯事なのかもしれない。

「……パールメラ姫は、知り合いなんだ。助けたい」

「どうやって?」

「僕が……蒸風呂にいけば、止められるかも」

「私が許すと思いますか?」

「『警察』……国は助けてくれない?」

「公宮は軍の管轄外です。入場規制の強い場所ですから、中に入れる人間も限られています。宮を司る役所はありますが、アースレイヤの西妃レイランが牛耳っているので、首謀者が西妃なら、当然もみ消されるでしょうね」

「……ジュリは助けてくれないの?」

「助けるだけ無駄です。今回はたまたま露見したから食い止めることができても、次があるかもしれない。そもそもアースレイヤの公宮に何人の宮女がいると思いますか? 焼石に水ですよ」

「そう思うなら、何で放置しているの? 国の怠慢じゃないの?」

「アースレイヤの怠慢です。公宮機関はアースレイヤの西妃、バカルディーノ家が長く支配しています。あそこを切り崩さないと、根本的な解決になりませんよ」

 いかにも面倒臭げに息を吐くジュリアスを見て、焦りと苛立ちが芽生えた。

「いいよもう、難しい話は。僕はパールメラ姫を助けたい。助けてくれるの? くれないの?」

「気が進みません。心底どうでも良い……アースレイヤは裏で面白がるでしょうし、そもそもブランシェット姫に頼まれて、光希が動くのも気に入らない……」

 彼にしては、珍しく悪態をつくと、腕を組んで考え込むように瞑目した。やがて、瞼を上げると、青い双眸で静かに光希を見下ろす。

「誰の為なんですか?」

「え?」

「大した知り合いでもない宮女を助けるのは、誰の為?」

「僕の為です。知り合いが殺されそうなのに、黙って見ていられない」

「知り合いが殺されそうになる度、コーキは手助けするのですか?」

「もちろん」

「不可能です。第一、自分一人の力で救えると思っているのですか?」

「難しいと思うから、こうしてジュリに頼んでる」

「コーキの為なら何でもしてあげるけど……」

 不満そうな顔つきで、ジュリアスは躊躇うように言葉を切った。

「ジュリ?」

「……ブランシェット姫の為ではないのですか?」

 一瞬、ふて腐れたようにそっぽを向くジュリアスの腕を掴んで、だーかーらー! と揺さぶってやりたい衝動に駆られた。

「僕の為です。信じて。知り合いを殺されたくない。助けて」

 単語を区切って強く訴えると、ジュリアスは錯雑な胸中を語るように眉をしかめ、諦めたように息を吐いた。